見出し画像

【第0315稿】権利を主張するのは分かるけど、思いやりと感謝も持ち合わせて欲しい。

これ、さ。

要するにこの伊是名さんという方は、車いすユーザーであることに引け目を感じて生きてく必要は無い我々にだって駅を利用する権利はあるのだからその権利を最大限に利用することに臆するな同胞たちよ!

と言いたいわけだ。

いや、いいんじゃない?権利なんだから思う存分使えばいい

ただ、ね。

この人には感謝の気持ちというのが無いんじゃないかと思うわけ。だって階段しかない無人駅隣の駅から駅員を呼び寄せ(一緒に行き)、車いすを運ばせているのに、感謝の気持ち定型的な「ありがとうございます」だけだぜ。

もっと「わざわざこっちの駅まで来てくれて助かりました」とかさ。もしかしたら言ったのかもしれないけど、ブログにそれをつづっていないということはつまり、それは本心じゃないんだよ。だって文句ばっかじゃん?記事を読むと。

駅員が車いすを運んでいる写真とかあるけど、「何、ヘルパーさんに抱っこされて、その写真撮ってたの?」あるいは「子どもにその写真を撮らせたの?」って思うと…。文句言う気満々じゃん?

そんで「帰りはどうすればいい」「次回はどうすればいい」と、相手が対応に不慣れなことをつついて叩いているわけだ。もちろん、駅がバリアフリーになっていないことも含め、世の中は我々につらく当たる!でも悔しがる必要は無い、もっと権利を主張していこう!


うーん・・・。


お子さんとやらがそれを読んでどう思うかだよな。「ママ、もういいよ、私たちが大きくなったら一緒に旅行に行こ?車いすは私が運んであげるから」なんて言われたら泣いちゃうよ。で、ひとしきり泣いた後に

子供にこんなことを思わせる世の中が間違っている!

って怒るんでしょ?

車いす生活であることはあなたにとって不幸なことかもしれないし、もしかしたらそれが日常なのでどうとも思っていないかもしれないし、それは分からない。でも、駅員4人を動かして、「権利ですから」とろくに礼も言わず、むしろ「対応の仕方がなっていない。乗車拒否か?あ?」と文句を言うのは…車いすであろうがなかろうが関係なく、人としてどうかと思うよ。

ぶっちゃけ、バリアフリー化ってさ。


要するに「自分らでなんとかできる環境を作ってやっから、あとは好きにしろ」ってことじゃん?それはそれでいいんだけど、俺としてはエレベーターもスロープも無い駅駅員さんがわざわざやって来て車いすを運んでくれることの方が重要だと思うんだよ。

なんなら、もし自分がその場にいたら手助けをすることも考えるね。

ただ、余計な口を挟んで文句を言われたり手伝おうとして失敗して車いすを傷つけた時にものすごく怒られそう(弁償しろって言われそう)だと思ったら手伝わない。助けない。

例えばさ。コンビニで買い物をしたとき、店員に何か言う?って聞いたら、たいていの人は「いや、特に何も言わない」って答えるんだよ。でも飲食店で同じことを聞くと、「ごちそうさまでした」って言う、って言うんだよね。

その差は何?なんて言えばいいか分からないの?


ありがとう


だよ。ちょっと気恥しいので、俺は「どうもです」って言っちゃうけど、コンビニで買い物をして、店員さんが商品とお釣りを渡してくれたら、

「どうもー」

って言っちゃう。もうクセだけどさ。感謝の気持ちじゃん?それも。


大事なことだと思うんだけどな。



助けてもらったら、「わざわざすいません」よりも「助かりましたありがとう」の方が絶対良いよね。謝られるより感謝される方がお互いにとっても良いよ。

だから正しく対応が出来ていない駅員に対して

「バリアフリー法がありますよね」とか「障害者差別解消法があり…」とかさ。これって駅員に対して「あんたJRで働いているのにそんなことも知らないの!?」って言っているのと同じでしょ。

俺はバリアフリー法は聞いたことがあるけど、障害者差別解消法ってのは初耳だった。まぁ、駅員と俺じゃ立場が違うので、駅員は知ってて当然なのかもしれないけど、そういう言い方は無いでしょう、とも思う。


声をあげることは大事だと思うけど、アプローチの方法を間違えると単なるクレーマーだわこいつ…で終わってしまうので、もう少し優しさと思いやりを持って欲しいな。駅員さんも、伊是名さんも。


総じて言えることは。


俺もカリカリしているときはこういうことを言っているんだろうなぁ、とちょっと恥ずかしくなってきた。反面教師だと思って、今後の記事を書く際の参考にさせて頂きますよ。ってことで。


#車いす #来宮駅 #熱海駅 #小田原駅 #バリアフリー #クレーマー #障がい者 #日記 #JR #乗車拒否 #増やすべきは味方ではなく仲間

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?