置かれた場所で咲ける人すごい。シンプル羨ましい。
私は仕事に適応できないと感じると、自分のマインドや能力に問題があるからだと自己嫌悪したり、この仕事はブルシットジョブだと他責にしたり、そんなブルシットジョブですら自分は出来ないのかとまた自己嫌悪に走ったり、とにかく仕事に嫌気が差すと自責/他責思考に陥っていた。
そして今日も相変わらず仕事に腹を立てていたが、こんなにも負の感情を揺さぶられるのはちょっと異常だ、仕事には性格の向き/不向きで棲み分けが必要だ、とふと思った。
たとえ苦手な仕事であっても、苦手を克服しなければならない、ある程度成長しない限り異動・退職してはならない、と強く思い込んでいた。
実際は苦手を克服する前に退職を決定したので、今この仕事ぶりなのに次うまくやっていけるのだろうか…と不安になっていた。そして性格の向き/不向きを言い訳にしていた自分に対して情けなさも感じていた。こうやって文字に起こすととにかく暗いし面倒臭い奴だと思う。
しかし、向いていないものに時間を割くのはやっぱり無駄なのかもしれない。ストレスはたまるし、モチベーションはあがらない、土日が来るのを楽しみにするだけのつまらない人生になってしまう。というか、そうなっていた。
そういうものに対して努力を重ねてもマイナスからゼロになるだけであまり効果がない、と私のリスペクトするyoutuberも言っていた気がする。
一応、過去には昇格もしたし、ボーナスも平均は貰えているし、苦手な仕事にしてはそこそこうまくやってのけただろう。そう思いたい。
置かれた場所で咲きなさいとは言うけど、私のように適応障害で何年も時間を無駄にするくらいならさっさと辞めた方が自分にとっても会社にとってもwinwinだ。
新卒一括採用で(適当に)割り振られた仕事なのだから、向き不向きも当然出てくるだろう。その軌道修正をいかに早くするかが残りの人生の充実度に関わると思う。
そう結論づけると、ナニこの仕事馬鹿じゃないの?という気持ちがなくなる。これは宗派の違いであって、私は異教徒なのだ…そう思うと諦めの境地と穏やかマインドを取り戻すことができるのだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?