ひとりカラオケ。
ちょっと、週一くらいの頻度にするかも。いや、気分です。
どうも、コーシです。
高校生、大学生というと生活のワンシーンにはカラオケが付きものな印象がある。現実はどうであれ。実際私は高校生の時はあまり、というか一度も友人とカラオケに行く機会はなかった気がする。
しかし大学生になった今、割と行く機会が増えた。増えたと言っても、ふた月に一回行くかどうかだけど。
秩父の中学3年生だった頃は、毎週の様にカラオケに行って歌った記憶がある。あれはかなり楽しい思い出である。
そんな過去を経て現在、カラオケというものを思考する様になってしまった。
大前提、カラオケは楽しい。人が気持ち良く好きな歌を歌っているのを見るのは本当に心地よい気分になれる。新しい曲との出会いもある。曲から新たなコミュニケーションが生まれることだってある。あのボックスの中はそれぞれとても尊い空間なのだと思う。
そんなことを思いつつ、私は考える。私は何を歌えば良いんだ。
別に好きな曲を歌えば良い。みんな思い思いの歌を歌っている。
ただ自分を客観視した時に、俺が歌う星野源、俺が歌う椎名林檎、俺が歌うcreepy nuts、俺が歌う奥田民生、俺が歌うBUDDHA BRAND。どれをとっても需要が感じられない。俺がバラードにも需要はない。
いや、カラオケって需要と供給で成り立っている訳じゃないだろ!とツッコむ自分もいるが、どこか割り切れない。自意識過剰がすぎる。かっこわるい。
結局、いつも『島人ぬ宝』と『2億4000万の瞳』に頼る。あとは上のアーティストの代表的な曲とさらっと歌って、自我をほんの少しだけ主張する。たまに調子が良い時は『LA LA LA LOVE SONG』を裏声を使わずに歌うチャレンジをした。
みんなの「えんやーさーさー」を誘導している時と、「エキゾチぃぃぃぃぃック」の後に「かもん!!」と言ってみんなに「JAPAN!」と言ってもらっている時の自分はかなり輝いている気がするし、めっちゃ楽しいのも事実。
ただ帰ったあと、あれ歌えばよかったなぁぁぁ、と思う。
楽しいことを、何も考えずに楽しいと思いたい。
そんな話を彼女にしていた。
すると彼女が一言。「ひとりカラオケしてみたら良いんじゃない?」
私の心の中ではその一言に少しエコーがかかっていた。
思えば確かに今までなんでひとりカラオケをしてこなかったのだろう。人生の結構な時間を単独行動に費やしてきたが、カラオケだけは”人と行く場所”になっていた。
タイミングよく、1人で籠って行いたい作業もあったたため、春休みの終盤、雨の中1人でカラオケに行ってきた。
結論から言うと、全くの別物だった。どちらも楽しい。
ずっと自分のプレイリストにある曲を歌っていた。めっちゃ下手だし、実際歌ってみると難しすぎる曲ばかりだったけれど、もう最高だった。自分1人の部屋に響く己の笑い声はとても陽気だった。
それと同時に、次にいつか誰かといくカラオケもいつもに増してとても楽しみになった。だって歌っている人はこんなに楽しいのだから。こんなに楽しんでいる人と一緒にいるのは絶対楽しい。
もう流石にそろそろ自分を変えたい。そんなふうに思っている最中だった。
今ある物に疑問を持ったり、思考を深めることも良いけど、楽しいと思えるものをどんどん見つけて、それと同時に今まで思考を深めた対象も純粋に楽しめるように自分をシフトする。人目とか、自分が自分を見る目とか、一旦シンプルに考えること。
そんなことを初めてみようかな、と20歳寸前で思っている。多分遅い。かなり情けない。
けれどひとりカラオケでハッキリとそう思えた。
てかとりあえず、歌上手くなりたい。
フクダコーシ しそとツナ缶。
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