しそとツナ缶。

フクダコーシ。大学2年生。 エッセイと小説・映画感想の執筆を行なっています。 大体2…

しそとツナ缶。

フクダコーシ。大学2年生。 エッセイと小説・映画感想の執筆を行なっています。 大体2000字行くか行かないかくらい。 いや、あんま決めてないです。

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  • 個人的な推し記事

    個人的におすすめしたい記事です。

  • 本とエッセイ

    私が読んだ本の紹介を私なりにさせていただきます。本を知るきっかけになれば何よりです。

  • 古民家 一休 シリーズ

    親友の古民家を訪れた時のエッセイです。

  • カレー屋さん日記

    その名の通りです。ほぼインドカレーです。

  • 沖縄ひとり旅シリーズ

    沖縄に行ってきたんです。よかったら読んでください。

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充実とは

LEGOはいいぞ。 どうも、コーシです。 LEGOを作った。 007のアストンマーチン。 車内では”ジェームズ・LEGO・ボンド”がこちらに微笑みかけている。 はっきり言って、最高の時間だった。 ただただ、他に何もせず何も考えず、スマホの電源も切って、LEGOだけと向かい合った。 LEGO以外のものから疎外されていた。 心が何かで満ちている感覚。 充実していた。 充実とはなんだろうか、と最近よく考えてしまう。 俗にいう充実とはすごく広義に解釈されている気がする。 予

    • 生きるの”い”はインドカレーの”い”

      イヤホンが無い。いつもに増して見つからない。 こう言った時には潔く諦めることが、生きるコツだ。 ワイヤレスのヘッドフォンを手にする。 ようやく涼しくなってきたし、気分を変えてヘッドフォンと言うのも良い。 家を出て、駅につき、いざヘッドフォンの電源を入れると、充電が無かった。 ふーーーー、と息を吐き、心の中で笑う。 こういう時、笑える様になった。 そういえば今朝は小指をぶつけたことを思い出す。 今までの自分だったら、今日という日を諦めていた。 ”ダメ日”と名づけてぶっきら

      • ホットコーヒー、寒さの始まり。

        京王多摩センター駅、大学への通学路だ。 新宿から伸びる京王線の駅はどこも混雑している。 あまり好きではないとか言いたくないが、はっきり言ってこの駅は好きではない。 駅周辺全体が商業施設やテーマパーク(キティちゃんたちのすみか)になっているし、周辺に大学も多いため、駅を歩くすべての人たちの姿に生活感が無い。 おそらく自分自身も、ここを歩くときに生活感がないのだと思う。 生活感というものにとても安心する。 尊さも感じる。 ここはその生活感から最もかけ離れた場所なのだ。 大学の

        • 文章 (2年目)

          えっ、これって、秋? ども、コーシです。 涼しくなってきてしまった。 今夏の非人道的的な暑さを乗り切って、心から安堵をしている。 季節の変わり目には毎度弱いが、いよいよ本当に慣れたもんだな、という感じだ。 もうパンツ一丁で寝るあの開放感を得れないのかよ、寂しいなぁ、と夏の去り際にぼそっと嫌味を残しておく。 ギリギリまでパンイチの開放感を楽しみ、夏を締めることとしたい。 ”伝える”という行為、”ただ何処かに向かって話す”という行為、これらを両立することが難しい、というのが最

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        記事

          エモ以前、エモ以後。

          攻めた新書みたいなタイトル。 ども、コーシです。 最近は母校で、チューターとして高校生の文章を添削したり、進路について対話したり、かなりやりがいのある日々を過ごしている。 「自信を持つ」とまではいけずとも、自分の発言も、高校生の文章も、全てに神経を巡らせて精査する。 正直言って、活動としてとても好き。 文面上でのやり取りが多いが、週に一度は母校を訪れ、対面でやり取りする。 同じカリキュラムで、同じような授業(母校はアクティブラーニング系の授業がとても多い)を受けてきた人と

          エモ以前、エモ以後。

          「なんか好き」

          まだ、夏です。 ども、コーシです。 「好きに理由なんていらない。」 その通りですよね、と思う。 対象がものであれ人であれ、「好き」という感情は論理性に欠けるものだと感じている。 論理的である必要もない。 「なんか好き」を追求し続けた人間だけがたどり着く境地があって、そこには誰も辿り着けない。 そんな理論では辿りつかない絶対なるパワーを持つ感情が「好き」という感情なのだと思う。 ここで終えてしまえば、格好がつく。 「いいこと言うじゃなぁぁ〜〜い。」と人にも言ってもらえそう

          「なんか好き」

          そんな感じで。

          おひさnote。 ども、コーシです。 最近、高校の後輩の受験をサポートしている。 提出する書類を添削したり、一緒に内容を考えたり。 自分以外の人間の興味関心について、自分もそこに興味関心を持って考える。 この作業がとても楽しくて、こちらも勉強になる。 もう初めて2年くらい経とうとしているこのnoteでの経験も、若干活きている気がする。 言い回しだったり、言い換えであったり、2000文字程度の文章を書き慣れているというのはまぁまぁありがたい。 とはいえ、志望理由書や小論文

          そんな感じで。

          散歩中のアイデア。

          めざせ、朝方人間。 ども、コーシです。 「どうも、」より、「ども、」の方が親しみやすくていいんじゃないか? 朝に散歩をしている時にふと、思い立った。 なんの脈略も無く。 多分、私の性格的にも間違いなく「ども、」の方が好ましい。 この程よくテキトーさを維持しつつも礼儀正しさの残り香だけを残していくという、失礼と親しみやすさの間に少しとどまるけど、全然失礼な感じ。 よし、今度から「ども、」にしよう。 朝に散歩をする、という新習慣を手に入れた。 歯を磨いて顔を洗って出発、3

          散歩中のアイデア。

          地獄のように行け。

          朝散歩を始めました。 どうも、コーシです。 "GO LIKE HELL"  そうプリントされたTシャツを買った。 古着のnikeのTシャツだ。 直訳すると、「地獄のように行け」となる。 もう少し細かいニュアンスがあるような気がして、少し調べて意訳すると、「死に物狂いでいけ」もしくは「猛スピードで行け」という訳になった。 やはり英語とというのはニュアンスの世界だ。 この2択はおそらく状況によって正解が異なる、というかどちらも役としてはあっているのだろう。 しかし、Tシャ

          地獄のように行け。

          黄金だったあの日々。

          期末テスト、これにて。 どうも、コーシです。 最近、街で制服を着た高校生を見かけると、「かっこいいな」と思ってしまう。 あの、”無敵”感。 この世界全体を直接、自分なりに、全力で感じまくって生活を回転させている彼ら彼女はとんでもなくカッコ良い。 そして、一方で大学2年生の前半までを終えた私。 もちろん大学生だって全力で生きているが、高校生ほど体全体で世界を吸収することはできなくなってしまった気がする。 高校生の時、全てが自分ごとだった。 あまりに無関係で、遠い場所での出

          黄金だったあの日々。

          夏、期末テストとアイスコーヒー。

          期末試験フォぉぉぉぉぉぉぉぉ!! どうも、コーシです。 投稿頻度が明らかに落ちているが決して私のモチベーションに変わりはない。 忙しいことは前提として、テスト期間における生活には全くもって特筆すべきことがない。 無理に特筆しようとすると、絶対に口が悪くなる。 この期間というのは、性格と引き換えに学力を向上させる期間である。 それに加えてこの絶望的な暑さ。酷暑。 本能からストレスを感じている。 汗っかきなので、この一番暑い時期にはなかなか色付きのTシャツを着るチャンスも

          夏、期末テストとアイスコーヒー。

          外はちょっと刺激的すぎて

          この度、LEGOを購入しました。 どうも、コーシです。 成人3ヶ月目にして、明日家にレゴが届く。 おそらく明後日テスト勉強で家に閉じこもりながら、2時間に1回くらいLEGOを組み立てる。 なぜ急にLEGO?と言われると思うが、やりたかったからに他ならない。 日本のファッションやHIPHOPについてのいろんな動画を観てたらデザイナーのNIGO®︎さんの名前を目に耳にする機会が多かったので、なんらかのサブリミナル的効果はあったかもしれない。 とにかく、急にLEGOがやりたく

          外はちょっと刺激的すぎて

          あの日、なぜ私はバイキンマンだったのか。

          あれって、なんだったんだろうシリーズ。 どうも、コーシです。 人間とは、人生とは不思議なものである。 常に合理的な道を歩んでいるつもりでいて、思い返すと謎に包まれて過去の事実が山ほどある。 それらの謎は長年の月日が経った上での忘却や、当時の理解不能な思考など、謎になるに至るまでには多くの経緯をたどるため、その謎はなかなか解き明かされることはない。 ただふと思い出し、愕然としたり、恥ずかしく思ったりするだけだ。 本稿では、そんな私の人生における謎について真正面から向き合って

          あの日、なぜ私はバイキンマンだったのか。

          夜を明かす方法。#本とエッセイ『ここはすべての夜明けまえ』

          There is not ネタバレ. Yeah. どうも、コーシです。 あの時こうしていれば、”今”はどう良かっただろうか。 でも、そうしていなかったらこの今に出会うことは出来ない。 今は楽しいし幸せ。だからもちろん惜しい。 ただそれは友人や家族など、環境によって得れるものであって。 ”今の自分”、ただそれのみを良いと思えるかどうかは自身が持てない。 とまぁ、「今」という文字のゲシュタルト崩壊を起こしてもらったところで早速本題に入る。 その今に至るまで、私は”人”を何回

          夜を明かす方法。#本とエッセイ『ここはすべての夜明けまえ』

          ダサさ。

          夏宣言(ガチ)。 どうも、コーシです。 ここ最近のエッセイネタ不足はというとそれは絶望的なものなのだが、文章を書き終えた時のスッキリ感だけを求めて今日もタイピングしている。 なぜ、ここまで書くことが見つからないのか。 この疑問に対するアンサーの今回はかなり簡単なところにある。 それは”偉そうに語れることが何もない”ということだ。 私は”偉そうに語る”という文言を決してネガティブなものとは思わない。 それだけ自信を持って話せることがあるということは、人生において誇れるもの

          それでも私は雨に消える。

          ”それでも”ってのは、”20になったにも関わらず”ってのと同義です。 どうも、コーシです。 満員電車に心を殺し続け、最寄りの駅に着く。 ようやく心を取り戻した私は、勉強による清々しい疲れを背負って駅を歩く。 地下から地上に上がるエレベータに乗ると、階段を降ってくる人たちの様子が異様だ。 みんな、傘を折りたたんでいる。 出た。雨だ。 なぜ偏頭痛で勘付かなかったんだよ。 傘なんて持ってきてない。 今宵の敵はどの程度かな、と言った具合に外に出る。 まぁ、傘があるに越したことは

          それでも私は雨に消える。