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『ヘッド博士』との出会い〜DIGるという文化〜

僕にとって、『ヘッド博士の世界塔』との出会いというものほど衝撃的なものは無かった。


フリッパーズ・ギターの3rdアルバム『ヘッド博士の世界塔』。ジャケットのセンスも素晴らしい。


僕は今までに、まだまだ浅学ながら幾多のアルバムを聴いてきた。物心ついて初めて「なんか良くね?」と感じたアルバムが、Green Dayの『American idiot』であったことはよく覚えている。両親が大好きで、車の中でよく流れていた。おかげで2010年だかその辺り(正確には覚えていないが)で開催された『21st Century Breakdown』のジャパンツアーが僕にとっての初めてのライブ体験である。(思い返せば、随分とマセたガキだ。)

僕は両親の音楽遍歴の影響をふんだんに受けている。父親はオアシス(再結成!)やマルーン5、ジャミロクワイなどが好きで、母親はガンズ・アンド・ローゼスやクイーン、デヴィッド・ボウイの大ファンだ。そして両親ともにクラシックやオペラなどにも精通しているが(母親に至ってはオーケストラ経験もある)、一部を除いて邦楽はほとんど聴かないというこれまたマセた家系だった。

そんな両親の影響をモロに受けた結果、『邦楽はクソだ』とまで考えてしまうモンスター(私)が爆誕してしまったというわけだ。
この偏った危険思想(?)がまた厄介なもので、友達とカラオケに行った際はもちろん、ドライブで流す曲に困ってしまったり、学校でも周りの聞いている音楽の話には一切参加できなかったのである。(もちろん”当時”の僕は、みんなが聴いていた西野カナやGReeeeN、ジャニーズ・秋元康・LDH系の音楽をきっと心の底から見下していたし、ましてや自分からヴェルヴェットやデフ・レパードの1stとか最高だよな!!みたいな話なんぞはするつもりも毛頭無かった。とんだクソガキである。)

そんなわけで他人と共有できるような趣味がない、随分と寂しい学生生活を過ごしたのだが、ここで僕に「音楽の嗜好」という面で、大きな転機が訪れた。一年間の浪人生活である。

浪人生活というものは如何せん時間がたっぷりある。その時間を有効的に使い、音楽を「DIGる」ことに目覚めてしまったのである。(もっと時間を使うべきものがあるだろうというツッコミはさておき、、、)
毎晩携帯と単語帳を片手に散歩に出かけ、その都度流すBGMを変える。この一連の作業を通してさまざまなアーティストに出会い、新たな発見のほか邦楽はクソだという偏った過激思想も修正されていった。こうした中での出会いの一つがフリッパーズ・ギターである。

ここで一つ、彼らの詳細についてwikiから引用させていただく。

フリッパーズ・ギター(The Flipper's Guitar、Flipper's Guitar)は日本バンド。略称は「パーフリ」「フリッパーズ」。1987年11月にロリポップ・ソニック(Lollipop Sonic)として結成され、89年にフリッパーズ・ギターへ改名。1991年10月に解散。
母体は、小山田圭吾(当時は「圭悟」名義、ボーカルギター)と井上由紀子(キーボード)の2人で結成したバンド「Pee Wee 60's」。この2人以外のメンバーが脱退したことを機に「ロリポップ・ソニック」へ改名し引き続きライブハウスなどで活動。2人でのライブを数回、行なった後に吉田秀作(ベース)、荒川康伸(ドラムス)が加入。最後に小沢健二(ギター、サイドボーカル)が加わり、5人編成となる。当初はネオGSの枠で捉えられていた。メジャーデビューの際、「ロリポップ・ソニック」はあまりにも造語感が強く、この名前で活動するには窮屈なのではないか、という牧村憲一の助言に基づき、フリッパーズ・ギターと改名した。
1989年、全曲英詞の1stアルバム『three cheers for our side〜海へ行くつもりじゃなかった』でデビュー。その直後に小山田が交通事故により入院したことで活動が一時停止。その後、荒川、井上、吉田が脱退し、小山田と小沢の2人編成となる。1990年、全曲日本語詞による2ndアルバム『CAMERA TALK』をリリース。小沢によると「二人(小山田と小沢)には、なんとなく取り決めがあった」とのことで、「リードボーカルは、小山田が歌う」、「作詞とかタイトルは、小沢が決める」というもの。2ndアルバム以降は作詞・作曲・プロデュースが二人の頭文字に由来するDOUBLE KNOCKOUT CORPORATION(DOUBLE K.O.corporation)での共作名義となっているが、楽曲によっては1人で作曲した作品があることも記載している。

とまぁこんな様子だが、ざっくりいうと「オザケンとコーネリアスとかいう日本を代表するアーティストの2人が組んでたとてつもねぇバンド」である。

彼らに抱いた最初の印象は「なんか、中途半端な洋楽みてぇだな」である。初めて聞いたのは2ndの『カメラ・トーク』(今となっては大好きなアルバムだが)で、妙に「カッコつけている」感がどうも気になった。だが、聞いているうちにだんだんとハマり、1stアルバムの『海へ行くつもりじゃなかった』もその流れで聴いた。これがまた僕の性癖にブッ刺さるアルバムで、オシャレな彼らのことが大好きになった。やがて毎日彼らのアルバムを聴くようになり、何曲かコピーするにまで至った。(本当にそんなことをしている場合ではなかったのだが)かくして見事に、フリッパーズ・ジャンキーがダサい田舎の端くれに誕生したのだ。

そして、ある日唐突に一つの事実に気づく。

「3rdのサブスク解禁されてなくね?」

当時の僕はApple Musicのサブスクリプションサービスで音楽を聴いていた。今まで「買った」もしくは「TSUTAYAを通して涙ぐましい努力で集めた」、渾身のCDたちとも別れを告げ、新たな音楽サービス形態に身を投じた訳だ。そして、サブスク配信されていないものに関してはあらかじめ持っていたCDを取り込んでいた。調べてみると、どうやら無許可のサンプリングをしまくったせいでサブスクはおろか、リマスター版の発売さえできないという問題作だったのである。そしてこのアルバムを最後に彼らは解散してしまう。ますます気になる。

こうして僕はメルカリに2500円で売っていたこのアルバムを迷うことなく即購入。予備校からの帰りに宅配ボックスを開き、心を躍らせながら居間にあるお気に入りのBose製のCDプレイヤーで再生した。


これほど衝撃的なアルバムはなかった。


1曲目のドルフィン・ソングを再生すると、ビーチ・ボーイズの『God Only Knows』が流れ始めた。「あれ、これメルカリだしやられたかな?」と思っていた矢先、小山田圭吾のか細い歌声が聴こえてきた。まさかここまで大々的に、それもわかりやすくサンプリングしているとは。それなのにちゃんと「フリッパーズの音色」に仕上がっているのだからこれはもう素晴らしい。



というわけで、以降の曲も全て聴き終えると、そこには圧倒的な満足感と驚きがあった。約一時間の間、微動だにせずただひたすらに彼らの創り上げた世界に打ちのめされた。極上の音楽体験である。



このアルバムに関して、やはり特筆べきはサンプリング技術だと思っている。


先述した通り、当アルバムではビーチ・ボーイズやストーン・ローゼスなど、数えたらキリがないほど莫大なサンプリングがなされている。(そしてそのどれもが笑ってしまうほど有名なフレーズだったりする。これは再販不可になるわけだ。)「サンプリング」という行為の良し悪しはさておき、このサンプリングという作業で考えられるデメリットとしては「彼らの音色にならない」ことだと考える。

例を挙げると、ヒップホップ。このジャンルではサンプリングの文化が根強く、これまでもさまざまな名トラックがサンプリングによって作られてきた。
サンプリング文化を知らなかった当時クソガキの僕(7歳ほど)が、エミネムの『Sing For The Moment』という楽曲を聴いたとき、「エミネムとエアロスミスがコラボ?そんなことあるか?」と感じていたのを今でも覚えている。もちろん名曲なのだが、あのエミネムですらエアロスミスに若干食われる、というのがサンプリングの難しさでもあり面白さだと思っている。


しかし、彼らに関しては確実に「フリッパーズの音」であり、彼らの世界観やアルバムのコンセプトにうまく落とし込まれているのだから流石としか言いようが無い。


そして同時に、このアルバムはサンプリングを通して「DIGる」という文化を僕に教えてくれた。中盤でも述べたが、このことに関してはサブスクリプションというサービスの発達が非常に大きいと思う。昔はレコード屋に行き、手当たり次第音楽を聴くという、だいぶ骨の折れる、かつ金のかかる作業であった。しかし、今はサブスクで非常に手軽かつ便利に「DIGる」ことができてしまう。そういった意味でも、この『ヘッド博士の世界塔』はまだ知らない名曲やアーティストに会わせてくれた恩師であるのだ。


世の中にはさまざまな音楽が溢れており、この先も未知なる極上の音楽体験が待ち構えていることだろう。しかし、後にも先にも僕の人生にこれほどまでに大きく影響を与えたのが『ヘッド博士の世界塔』という作品であることは間違いない。




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