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ミックスジュースとフルーツポンチ。競争と共生は相反するのか?

パラスポーツの盛り上がりは共生社会に結びついている,と信じている者が多い。もちろん,パラ水泳メディア「パラミー」もその力を信じている。

なぜならスポーツで汗を流し,仲間と切磋琢磨して,金メダルを目指すストーリーは美しい。そしてその姿を見た者が障害について考え,日常で障害を知りに行く,触れる機会が広がっていく。そう考えられる。

しかし一方で,競争をしているのだから負ける者の存在,争いに敗れ悔しい思いをする者がいる。

パラスポーツでの競争と共生は表裏一体なのだろうか?
共生社会を追い求めるパラスポーツの在り方を考える回にしたい。

なぜパラスポーツは共生社会を目指すのか?

日本パラスポーツ協会の掲げる「2030ビジョン」には,「活力ある共生社会の実現」が目標に示される。

活力のある共生社会とは,パラスポーツを広く知ってもらい,かかわる人を増やすと同時に,競技力の向上を目指していくこの「普及」と「競技力向上」を「好循環」させ,多様性を認め合うことである。

パラスポーツの価値を共有し,スポーツを通じて障害者の社会参加を広げるきっかけとなる可能性があふれているからこそ,パラスポーツは共生社会を目指すのだ。

JPC河合会長のパラスポーツの可能性である多様性,共生社会について,ミックスジュースとフルーツポンチを例に分かりやすく伝えている。

「ミックスジュースでなく,フルーツポンチ」=個性をすりつぶしてわからない状態でまざりあうのではなく,食感だとか,色だとか,味わいだとか。それぞれの個性を生かしつつもまざりあっていくような社会をつくる。これが共生社会につながっていく。

多種多様な選手があらゆるスポーツで活躍するからこそ,フルーツポンチのような皆それぞれが持つ良さが際立ち活力ある共生社会への道がひらけているのかもしれない。

しかし,それはパラスポーツの良い面しか見えていないという指摘もあるのが事実だ。

競争と共生は相性が良いとは言えないのでは?

確かにパラスポーツで活躍する人は障害者の中でもほんの一握りで,社会に参加することが難しいと感じている人や逆に社会への参加を拒まれるケースは多く存在する。そして,競争しているのに共生とはどういうことだ?
と思う人もいるようである。

パラ水泳でいえば,パラスポーツを盛り上げるために選手がメダルを獲ることは大事である。しかし,あるパラ選手がメダルを獲ることで,その他の選手は敗北する。これは共生ではなく,弱肉強食の世界であり,残酷なものだ。

そのパラスポーツの競争する実態をみていると,正直共生とは相性がよくないと感じる。

スポーツよりも絵や創作といった芸術では,評価よりも自由に表現することに価値を見出し,共生とは親和性が高いと予想される。

例えば,1つの創作物を作る過程で,障害のある者ない者が共に完成を目指し作り上げる姿にこそ,共生社会の片鱗を見る。

とはいうものの,パラスポーツに着目され始め,大きなお金も動き出していることから,共生社会について相性が良くないにしろ考える義務はある。
なぜなら,大きな市場となる可能性が広がり,多くの障害者が参入でき,社会への参加のきっかけとなるのは間違いない。

そこで,パラスポーツでも特にパラ水泳が共生社会を目指す上でできることを整理しておくことは悪くないであろう。

一体,パラ水泳にできること,パラ水泳にしかできないことは何だろうか。

パラ水泳がかなえられる共生社会

JPC河合会長はこう言う。

「社会を共生社会とか、持続可能でより良いものにしていこうと思っている人たち全てが当事者になりうるというところが、パラリンピックムーブメントの大きなポイントだと思っています。」

確かに,パラスポーツにかかわるコーチやボランティアスタッフなどの健常者にとって,共生社会について考えるきっかけとなり当事者として共生について着目することができる。

その点でいうと,パラスポーツでも特にパラ水泳は道具を使わず,また健常者と障害者が同じように練習に取り組みやすいスポーツであると言える。

パラ水泳にかかわる中で,健常者は腕がない人の泳ぎを真似して泳ぐことや脚を使わずに泳ぐなど障害を参考にすることができる。いかに水の抵抗を減らし,速く泳ぐかを追求することには変わりないため,パラ水泳選手は健常者から学び,健常者はパラ水泳選手から学ぶことがある。その過程で共生社会は実現されているのではないかと思う。

もちろん,義足や車いすなど道具を巧みに使う,パラ陸上や車いすテニスなどの魅力はあるし,健常者も一緒に参加できる。

しかし,水泳ならではの道具を使わず,誰しもが「水の中では自由」になれることが共生について考え,障害の有無を問わず社会で生きていくことを目指すきっかけになると信じている。

そして,最後にパラ水泳の木村選手の映像で締めたいと思う。周囲の人が木村選手と過ごし,活躍を見たことで共生についてそれぞれ考え始めている様子が伺える。

これこそ,パラスポーツの力ではないだろうか。

そう信じる者が増えるとよいなと思うこの頃であった。

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編集長

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