ヴィパッサナー瞑想のこと。
ヴィパッサナー瞑想。
わたしは、昨年7月、この瞑想法の初めての10日間コースに参加した。
年末年始には奉仕に参加させて貰い、今も毎日朝晩座ることを続けている。
身近に瞑想者がいたこともあったし、何より2年前に負った大火傷による怪我のことが大きかった。一生この不自由?と生きていくのかと覚悟を決めたフリをして、いつも苦しかったわたしは、藁をも縋るような心持ちで10日間(正確には12日間)の時間を確保した。
結果、まさに怪我の功名だった。
痛み、苦しみからの解放を、ただ感覚を観察することが教えてくれた。それがこの身体を伴って体感として得られるのだから、ただ見聞きするレベルではない。
ヴィパッサナー瞑想に出会え、実際に生きる目的として腑に落とすことが出来たことで、もうこの人生は万々歳なのかもしれないと思えている。まだ旅路を歩み始めたばかりだけど、先にはたくさんの先輩たちの背中が見えます。有難い有難い🙏✨
いつかはわたしも、お釈迦さまの生きたインド、ヴィパッサナーの生きるインドで座ってみたい。
ヨガ修行中にもインドに行っていないのも、これもまた妙。
立春🌷新らしい1年、しっかり座ってまいります。
#Repost @zounoashiato
・・・
「まずあんたが幸せになりなはれ」
このひと言から始まった。
もう20年以上前、京都に2回目の10日間瞑想合宿コースに参加した時、コース運営の人手が足りないからと奉仕の手伝いをしてくれないかとコース開始直前で頼まれた。
旅をしていた頃から流れに逆らわないスタンスだったので、よく分からなかったけれど奉仕することにした。
一度は瞑想コースに参加したものの、きちんと理解はしてなかったし、それきり瞑想は続けることは無かったので、瞑想とはどんなことかもよく分かってなかった。
奉仕してみると、メンバーは自分以外全員外国人。そして全員初めて。ただ10日間のレシピだけわたされ、キッチンスタッフとしてがんばってと言われた。
英語も話せなかったし、料理も苦手。ぷらっと来ていた外国人のメンバーは適当。過酷な10日間を過ごすことになった。
ただ、生徒として参加している時には誰とも話せず沈黙を守らなければいけないが、奉仕中は話すことが出来るし、先生とも話す機会があったので、分からないことを毎々質問することが出来た。
ある日、摂食障害の友達でも瞑想出来るのか聞いてみた。当時はカウンセリングにも興味があったので、こころの病にも効果があるのか知りたかった。
「かわいそやなぁ。もちろん人間なら誰でも瞑想は出来るで。ただな、自分のこころの汚れに直面せなあかんし、しんどいやろ。自分の意志でやろうと思わな向かいあえへん。無理やり瞑想させても意味ないねん」
「だから、まずあんたが幸せになりなはれ。瞑想つづけていって変わっていったら、周りの人間は気になって、自然にやってみたくなるから。まず幸せになりなはれ」
大阪のちっちゃいオカンのような先生は、にっこりしながら教えてくれた。ここから瞑想を日々続けるようになった。
瞑想して、何か変わった?とよく質問される。無常を体験し続ける瞑想をすると変化しかないが、この質問に答えるのは案外難しい。しかし原点から眺めるならば、出会った人のうち興味を示す人が多少は増えたかなと思う。
まぁ、自分から瞑想を勧めることはほぼないので、もともと持っている人限定で興味を持ってくれるんだろう。汚穢とたわむれている人に届くことはまだ無い。しかし、誰かたったひとりにでも伝わるならそれでいい。
インダス川下流域の砂漠の片隅のオアシスで、沈黙を守りひたすらに修行する比丘たちの姿からは、ただ静寂だけが伝わってくる。日が昇ると霧が散るように、沈黙が破られると一瞬のうちに消えてしまう奇跡のような静けさ。
釈尊から2500年。静かなことばで真摯に伝えられ続けてきた技。
古の道の旅。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?