日本のスピリチュアルと差別化する理由〜現代魔女と民俗学とリベラルアーツと〜
「個人主義の究極の形は「利他」の精神だ。究極のエゴイストは、そんなに馬鹿じゃない。」昨日こんな事をポストしました。
民俗学やリベラルアーツから現代魔女の在り方を知って頂こうと、現代魔女としてその生き様を体現していますが、
わざわざニッチな民俗学やリベラルアーツに見せ方を振っているのは、「日本のスピリチュアル」と差別化するため。現代魔女「パラレル宇宙子」という存在自体が、流される世間や大衆への「疑問定義」だからです。
季節のサバト毎の意味に沿った魔女術ワークショップで「体験」を共有したり、日々のRitualや自然の循環の中で共生を体現する泥臭い姿をYoutubeで発信しているのは、
なんだか綺麗に包装されたリトリートやセッションの、フワッとしたスピ体験が飽和し、自分で考える事を辞めた流されてるだけの「日本のスピリチュアル」を量産し続けていると疑問視しているからです。
どこか自分に都合よく解釈したり、楽な方へ楽な方へと流されたり、目に見えない世界を「逃げ場」にしている方達に、一番大切なコアの部分は、打っても響かない。更には
サイキック(力)に溺れた未熟者ほど、神を謳い、神を冒涜してる。例えば、全てを知った気になり、自分を神格化してしまったり、ego inflation(自我の膨張)を起こした未熟な指導者のセッションやリトリートは、巷に溢れ返っている。(魔族の使いっパシリとかなの?←詳細は本編で)
今と言う時代は、多くの人の意識が「個」に向かい、自分が楽に生きれる様にばかり目にしますが、個人主義の究極の形は「利他」の精神です。究極のエゴイストは、そんなに馬鹿じゃない。と、私は思うのです。
今日のブログは、以下目次。宇宙子の頭の中について綴りました。
とにかく日本のスピリチュアルと差別化する必要がある。そう強く感じた理由について、真面目に綴っています。
日本のスピリチュアルと差別化する理由
とにかく日本のスピリチュアルと差別化する必要がある。そう強く感じた理由は、
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