江戸時代の庶民の識字率は?
江戸時代の庶民の識字率については、正確な統計は存在しないため、様々な推定があります。しかし、一般的には、江戸時代は文字の普及度が高く、世界でもトップクラスだったと考えられています。
江戸時代には、寺子屋という庶民の学習機関が全国に広く存在し、男女ともに読み書きや算盤を教えていました。明治16年に行われた調査では、全国で15,560校の寺子屋が確認され、一校あたりの平均寺子数は男児42.90人、女児17.15人でした。寺子屋の教科書は往来物と呼ばれるもので、多種多様な内容が含まれていました。
また、江戸時代には出版文化も隆盛し、草双紙や仮名草紙などの通俗的・娯楽的な読本が普及しました。これらの読本は一定数の識字層や大衆的読書層の存在を前提としており、庶民の間でも文字を学ぶことの必要性と重要性の認識が高まっていたことを示しています。
江戸時代の識字率については、階層間や職業間、男女間で大きな格差があったことも指摘されています。しかし、政治的統制や商業活動、農村経営などにおいて読み書き能力が必須となっていったことから、江戸時代は文字の人民への普及度が高く、その体制もそのような前提に基づいて成り立っていたと言えるでしょう。
以上のように、江戸時代の庶民の識字率は世界でも断トツに高かったという見方が有力ですが、正確な数値や割合を示すことは困難です。様々な資料や推測に基づいて研究されている歴史的な問題です。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?