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「トランスジェンダーの権利」の2つの方向性


1.「トランスジェンダーのカミングアウト」2種類

以前、「トランスジェンダーのカミングアウト」には2種類あることを書きました。

すなわち、次の2種類です。
移行前(あるいは移行中)の人が、ジェンダー・アイデンティティを公言すること。
移行後、埋没している人が、出生時に割り当てられた身体の性別(あるいは戸籍に登録された性別)を公言すること。

この2つは全く違うのですが、しばしば(無神経にも)区別されずに使われます。
というより、2017年前後の「LGBT」という言葉の広がり以来、だいたい①のことが言われることが多いと思われます。②はそもそも認識されていないようにも思われます。

なお、②のカミングアウトで有名なのは、佐藤かよさんの件で、これはながば、旧知によるアウティングだったと聞いています。(カミングアウトしたことにより有名になったというのはあるかと思いますが、それはまた別の話です。)


2.2つの「トランスジェンダーの権利」

さて同様に、「トランスジェンダーの権利」にも2つの方向性があるように思われます。
すなわち、次の2つです。

①「ありのまま」で、自認するジェンダーとして扱ってもらう権利。たとえば、自分の思う通りに戸籍上の性別変更する権利。

②自認するジェンダーに身体を合わせる権利。たとえば、性ホルモンを自由に投与してもらう権利。自由に医療にアクセスする権利。自由に性別適合手術を受ける権利。

実際上は、身体の変更には限度がありますので、②を認めつつ、①の余地もある程度残しておくというのが大事なのではないかと、個人的に思います。

3.「トランスジェンダーの権利」の議論について

現在の「トランスジェンダーの権利」の議論は、この2つの権利をとくに区別しないがために、わけのわからないことになってしまっているのではないでしょうか??

私見ですが、トランスジェンダーの権利の反対派は、「①に恐怖を感じる!」と言うケースが多いのではと思います。中には、「ついでに②も否定して、トランスジェンダーの人自体を抹消しよう」みたいな極論も見受けられますが、とはいえ、ヤフコメなんかでよく見かけるのは①への懸念でしょう。

一方、左派的な人が行うトランスジェンダーの権利運動もまた、①ばかり主張するケースが多いのではないでしょうか。少し前の時代でしたら、「トランスジェンダリズム宣言」派の人々や、ヒューマンライツウォッチなどに見られる主張です。

では、②を大事にしてほしいと言ってきたのは誰であったかと言うと、いわゆるGIDやトランスセクシュアルなどと言われてきた人々ではないでしょうか。

当noteの管理者もまた、②は最大限に確保しながら、①の余地を(ときに社会の同情をかいながらも!)残していくというのが、とるべき戦略の方向性なのではないかと思っています。

①ばかり居丈高に主張していても、問題の解決にはつながらないものと思います。

以上のような(法学的?)議論は、案外されていないように思います。そのうち何らかの形で発表できればとも思っています。

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