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「性染色体」という名前もまた「ジェンダー化」されたものである。

【気づき】
「性染色体」という名前自体がジェンダー化されたもの。
この名前を変えるのは、医学的にも有用。
つまり、たとえば「女性であってもたまたま「XY」(性染色体という名前ではなく)をもっている人がいる。そういう人は、それに対応した医療をもらえればいい。」、ということにもなる。
この「発想の転換」って、かなりコペルニクス的転回なのでは??

リチャードソンは、このような染色体の「ジェンダー化」の源泉は、「人
は2に弱い」(288頁)という人間の持つ認知の癖だけでなく、「性染色体」という分類名にあると主張している。彼女は、本書の序盤で、命名をめぐる生物学者たちの躊躇いを周到に描き出した上で、XとYのジェンダー化のもたらした混乱を描き、終盤では、当初の躊躇いの中で切り捨てられた「他の可能性」に再び言及し、分類名を再考すべきだとはっきりと述べている。ここに象徴的に示されているように、本書における著者の目的は、単に性染色体の歴史を描くことではなく、そのことを通して、生物学的性差研究を批判的に考察し、性差研究に貢献することにある。

渡部(森) 麻衣子、《翻訳で読むジェンダーの名著:訳者が語るその魅力》
サラ・S・リチャードソン著/渡部麻衣子訳『性そのもの─ヒトゲノムの中の男性と女性の探求』法政大学出版局、2018年、
『ジェンダー研究』 第21号 2019.2 p.174

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