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「エモい」が足りない

「エモ」過ぎて胸が苦しくなることがある。推名林檎の空が鳴っているを聞いた時だったり、昔好きだった人に近づきたくて全く慣れない煙草を深夜に買ったり。眠れない深夜に宇多田ヒカルの桜流しを聞いたり…(これは泣けるので個人的にオススメ)あとは坂口安吾の恋愛論を失恋した後に読んだ時。数年前にドハマリした漫画を読んだ時。思い出そうとすると書ききれないことが日々沢山ちまちまと起こっていて、飽きない毎日だなぁと思う。何かに対するノスタルジックな感傷だったり美しいものに関する憧憬だったり、自分で意図的に生み出せないだろう胸の苦しさが全て、私の考える「エモい」に収束する。エモい何かに触れると、過去の自分が夢中で追いかけていたものや、逆にできなかった後悔なんかも一緒に思い出される、こともある。「そんなこともあったなぁ」と昔の自分を笑って許せるような、全く成長してないと自嘲するような…そんな苦みを孕んでいるものは「綺麗」の一言で片づけるにはあまりにも重いと思ったからだ。と偉そうに書いてはいるけれど、本当にエモい出来事――素敵で、心に焼き付いて離れないような出来事は言葉なんかじゃ到底表現は出来ない。特に私みたいな平々凡々の一般人には。それが時折ひどく悔しくもあったり、言葉で伝えきれない感情に安心することもある。我ながら厄介な感情だなぁと思う。

話がそれてしまった。簡潔に言えば、エモが足りていない。家にいていくらでもDVDだって本だって読めるけれど、街中をふらふら出歩いてぶち当たったようなエモが恋しい。友達と馬鹿笑いしながら酒が飲みたい。出汁割を飲みながらこれからの事とか話したい。カラオケで大声を出したい。仕方ないから家で引きこもるしかないけども、外出できるようになったら観劇もカラオケにもライブにも行ってやる…なんて意気込んでいるところなのだ。そろそろディズニーに行かないと禁断症状が出てしまいそう。もしも誰か私の知人がこの記事を読んでいたら、今度一緒に遊びにでも行きませんか。それを楽しみに私は今を頑張ります。



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