とらえる

何かをとらえる、という表現について

絵を描く時に「とらえる」と表現することがある

陰影をとらえる
形をとらえる
質感をとらえる

何かしらを絵画上(平面状?)に上手く落とし込む、というようなニュアンスで使っている

同じく絵を描いている友人と絵の話をしてた時に、私が言った「とらえる」を友人は「捕らえる」ことと解釈できると言った

陰影を捕らえる
形を捕らえる
質感を捕らえる

捕らえる… 捕まえる…?

確か、対象を見て描く場合、その対象を見て描くというよりは、その対象がそれで有るということ、そこに在るということ、つまりその対象が成り立つためのシステムを「とらえて」描くような感覚がある
という話をしてた時だった

システムを捕らえる

「狩人のように夢を見ることは、自分が捕らえようとする生き物になり、物事を彼らの方法で見ることだ。」

という文章を突然思い出した

学生時代の授業で読んだ『メイキング』(ティム・インゴルド)の本に書いてあった一文だ

陰影を捕らえる
形を捕らえる
質感を捕らえる

システムを捕らえる

「捕まえる」だとしっくりこない気がする
なんだか物質的すぎる気がする 物理的?

絵画でいう「とらえる」は物質のことでは無いと思う
例えばりんごを「とらえる」として、手に持ってかじればそれはある種「捕らえる」かもしれない(甘さとか、味を「とらえる」ことでもあるかも)
けれど、絵画上でりんごを「とらえて」描く場合、何を捕らえているのかというと、りんごが置かれている床であり、りんごの後ろに見える景色であり、りんごを照らす光であり、そのりんごを見ている時間であり、りんごを見ている自分自身である

りんごをりんごたらしめていること、または「そこにりんごがある」ということそのもの

先に私がいった「システム」というのは、言葉足らずかもしれないけれど、そのようなことを言いたかったのだ


りんごが置かれているということ、の中に自分自身も含めて考えること、と言うと、先程引用した『メイキング』の一文とも繋がりが見えてきそうな気がする

なんだか上手くまとまらなかったけれど

とらえる、ということについて考えたという話

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