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「脳」と「私」の世界知覚について

普段私たちが「現実」として認識している世界は、実際には脳が感覚器から得た信号をもとに構築したものである。外界の光や音など、私たちが感覚として受け取るものは、まず感覚器によって電気信号に変換され、脳に送られる。脳はその電気信号をもとに、私たちの周りの世界を知覚する。この過程は無意識に行われているため、私たちは通常、自分の見ているものや聞いているものが「そのままの現実」であると感じている。

しかし、よく考えてみると、私たちが知覚している世界は、実際には脳が作り出したイメージに過ぎない。例えば、網膜が受け取った光は、信号として脳に伝達され、最終的に「風景」として私たちの目の前に現れる(ように感じている)。また、音も同じように、耳の中の鼓膜の振動が電気信号に変換され、脳が「音」として認識する。つまり、私たちが感覚として感じている現実は、脳の処理の結果であり、私たちが直接「現実」を見ているわけではない。

この考え方をさらに掘り下げると、もしその電気信号を完全にシミュレーションして脳に送り込むことができれば、脳はそれを現実と区別することができなくなるだろう。つまり、外界の物理的な現象に依存せずに、脳内でリアルな体験を作り出すことが可能になるということだ。これは、いわゆる仮想現実やシミュレーション理論の基盤となる考え方であり、もしその電気信号を正確に模倣できる技術があれば、私たちは仮想的な体験を現実と全く同じように感じることができるはずだ。

そうなると、「やっぱりバーチャルな体験はリアルには敵わないよね」というような言葉自体が空虚になってしまう。なぜなら、実態が伴っていようといまいと、脳はその違いを感知できないのだから。そういう意味では、マトリックスの世界は理論上は実現可能ということで間違いない。

また、このアプローチにさらに別の可能性を考えることもできる。それは、脳に直接リアルな外界をシミュレートする信号を送るのではなく、脳自身が世界を作り出すように仕向ける方法である。どういうことか。

ご存知のように、脳は、夢を見たり、想像をしたり、無意識に新しいアイデアを思い浮かべたりする能力を持っている。外部からの感覚入力がなくても、脳は内部的に自己完結した「現実(のようなもの)」を創り出すことができる。この特性を利用し、脳に特定のトリガーを与えて、脳自らが体験を創造するように仕向けるのだ。そうすることで、外部の世界をリアルに再現する必要がなくなり、脳が自発的に独自の現実を生み出すことが可能になるはずだ。

このような脳の内部的な創造力を利用するアプローチは、技術的にもエネルギー効率的にも非常に興味深い。詳細な外部のシミュレーションを構築するのではなく、最小限のインプットで脳自身に最大限のアウトプットを生み出させることができれば、仮想現実や他のシミュレーション技術は飛躍的に進化するかもしれない。

ここまで考えると次に思い当たるのは、サイケデリクス(幻覚剤)の存在だ。あのオウム真理教も使っていたと言われ、世界の様々な宗教儀式でも使われると聞くあれだ。この「脳が内部的に世界を作り出す」という現象は、サイケデリクスを使用している状態に非常に近いのではないか。サイケデリクスは、脳の神経伝達を変化させ、通常とは異なる知覚や意識の状態を引き起こす。その結果、使用者は現実とは異なる、しかし非常にリアルに感じられる体験をする。視覚や聴覚が歪み、感覚が混ざり合い、時には時間や空間の感覚すらも変わることがある。また、サイケデリクスの影響下では、自我の境界が薄れ、他者や世界との一体感を感じることもあると言う。これは、外部からの現実の入力がないにもかかわらず、脳が内部的にリアルな体験を作り出している例だと言える。

この「自我の消失」や「一体感」といった感覚は、サイケデリック体験の特徴としてよく語られるが、考えてみれば、実はこれこそが本来の自然な感覚に近いのではないか。私たち現代人は普段、外界と自分を切り離し、「私」という明確な存在を意識している。しかし、宇宙や自然の視点から見ると、私たちは常に周囲の環境や他者とつながっており、個別の存在ではなく、全体の一部として存在している。現代の物理学や量子力学でも、すべての物質やエネルギーが相互に影響し合っていることが示されており、物理的な分離は幻想に過ぎないという考え方が主張されている。私たちが感じている「自己」という感覚も、その一部かもしれない。

このように考えると、自己と世界との境界が薄れ、一体感を感じる感覚は、実はより根源的で自然な感覚なのかもしれない。東洋哲学や仏教でも、古くから「無我」や「すべてが一体である」という考え方が重視されてきた。これに対して、西洋的な哲学では「我思う、ゆえに我あり」というように、自己を中心に据えた考え方が主流だ。しかし、サイケデリクスの体験を通じて浮かび上がる「自己の消失」は、自己と他者、世界との境界が曖昧になることで、私たちが本来持っている一体感を再認識させてくれるのではないか。

すなわち、脳が自己を一時的に手放し、より広がった意識や一体感を感じることは、進化の過程で表面化した「個」としての意識を超え、より根源的な状態に立ち返るプロセスなのかもしれない。その体験は、私たちが日常の意識では捉えきれない「現実」のもう一つの側面を垣間見る貴重な機会とも言える。

自己の消失や一体感は、単なる幻覚や錯覚ではなく、宇宙や自然の本質を反映した、より深い感覚として私たちに刻み込まれているのだろう。現代の環境破壊や生物多様性の損失も、こうした全体感覚やつながりの感覚を忘れ、自分たちの繁栄だけを盲信してきた結果にほかならない。だからこそ、今私たちが最も取り戻すべきなのは、このつながりの感覚に違いない。そしてそれこそが、私たちがより持続可能な未来へと向かうための鍵となるのではないだろうか。


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