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『科学革命の構造』から読み解くパラダイムシフトの仕組み

こんにちは、パラダイムダイブ編集長の由城たけるです。
今回は、パラダイムやパラダイムシフトという言葉が世間に広まるきっかけとなった本であるトマス・クーン著『科学革命の構造』に関する記事となります。
『科学革命の構造』は初版が発売されてから60年近く経つ古典ともいえる名著であるため、既に日本語での要約や書評などはたくさん存在しています。そこで、本記事ではパラダイムシフトがどのような流れや仕組みで起こるのかという論点に絞って本の紹介をしつつ、個人的に今後さらに深堀りしたいと感じた問いについて書いていきます。

『科学革命の構造』の概要

トマス・クーンの『科学革命の構造』は、1962年に初版が発行され、日本語版は1971年に出版されました。原著の50周年を記念した改訂版として、イアン・ハッキングによる序説を加えた第4版が発売され、日本語での新版は2023年6月13日に発売されています。なお、本記事では、新版の方の日本語訳に基づいて概念を紹介します。

『科学革命の構造』は、科学の進歩が直線的な蓄積ではなく、「パラダイムシフト」と呼ばれる革命的な変化を伴うと指摘したことで、主に科学史や科学哲学の分野に大きな影響を与えました。
トマス・クーンが当初意図した「パラダイム」は、あくまで自然科学の領域のみを対象とした科学哲学の専門用語でしたが、徐々に「枠組み」や「視点」といった広義の意味で使用されるようになり、ビジネスや社会学など様々な分野でも応用されるようになりました。

パラダイムシフトはどのような仕組みで起きるのか?

ここからは、『科学革命の構造』で描かれているパラダイムシフトの仕組みについて紹介していきます。流れとしては、大きく分けると下記の3ステップとなります。
1. パラダイムに基づく通常科学の時期
2. 通常科学で解決できないアノマリーと危機の発生
3. 新たな理論の登場とパラダイムシフトの発生

1. パラダイムに基づく通常科学の時期

まずは、通常科学の時期についてです。
通常科学については、以下のように定義されています。

この小論でいう「通常科学」とは、ひとつまたはそれ以上の過去の科学的成果──どれか特定の科学コミュニティーが、そのコミュニティーのさらなる実践に基礎を与えるものとして当面認める成果──に、しっかりと立脚して行われる研究のことである。

科学革命の構造 新版

また、「パラダイム」は、通常科学の土台となる「ひとつまたはそれ以上の過去の科学的成果」に該当する概念として、次のように定義されています。

アリストテレスの『自然学』、プトレマイオスの『アルマゲスト』、ニュートンの『プリンキピア』と『光学』、[ベンジャミン・]フランクリンの『電気[に関する実験と観察]』、ラヴォアジエの『化学[原論]』、ライエルの『地質学[原理]』──これらの著作や、ほかにも多くの著作が、あるひとつの研究分野ではどのような問題や研究方法が正統なのかを、続く何世代かの科学者のために暗黙のうちに定義する役割を一定期間果たしていた。それができたのは、これらの著作が、次のふたつの本質的特徴を共有していたからだ。ひとつは、その著作で成し遂げられた仕事が、それと競争する科学活動のやり方から人びとを離脱させて引き寄せ、持続的な支持者のグループを形成できるぐらいには前例のない科学的成果だったこと。もうひとつは、そうして再定義された研究者グループのためにさまざまな未解決問題が残されるぐらいには、未完成な仕事だったことである。以下では、これらふたつの特徴を共有する成果のことを、「パラダイム」と呼ぶことにする。

科学革命の構造 新版

通常科学の時期では、特定のパラダイムが科学コミュニティによって広く共有されます。このパラダイムは、研究の方向性や使用する実験手法、解決すべき問題の範囲を決定する規範として機能します。クーンによると、この段階の科学者は「パズル解き」として、パラダイムの枠内で解決すべき問題を探し、それを解決するために実験や理論構築を行います。

この過程では、新しい理論の発見や革新は目的とされず、パラダイムの中でより精緻な分析を行うような研究が評価されます。また、通常科学の段階では、パラダイムが規定する仮説や理論の正当性が問われることは少なく、科学者たちは日常的な研究に集中するため、安定した進歩が見られる時期です。

こうした時期には、より専門性が高い実験機械が生み出せれ、観測の技術や精度も発展するのですが、こうした発展が科学革命の次の段階にシフトするきっかけとなります。

2. 通常科学で解決できないアノマリーと危機の発生

通常科学の時期が続くと、徐々に通常科学を支配するパラダイムから導き出される予測と乖離する現象やデータが観測されるようになります。こうした予測と乖離する現象のことを、クーンは「アノマリー(変則事例)」と呼びます。

アノマリーは、通常科学のために開発された新しい実験機器の登場によって発見される場合がありますが、観測された事象がこれまでのパラダイムから考えると「おかしい」と気づくことが出来ないと見過ごされてしまうとクーンは語ります。
既存のパラダイムに精通しているからこそ、新しいパラダイムに繋がるアノマリーに気づくことが出来るという一見矛盾したように見える構造のことを、クーンは「本質的緊張」と表現しています。

主として期待される機能のために作られる特殊な装置なしには、最終的に新奇な発見へとつながるような結果は生じようがない。また、たとえ特殊な装置が存在したとしても、何を予想すべきかを精確に知っていて、おかしなことが起こればすぐにそれに気づくことのできる人にしか、新奇な結果は普通は現れない。アノマリーは、パラダイムが与えてくれる背景のもとでしか現れないのだ。パラダイムが精確で適用範囲が広いほど、アノマリーの出現を──つまり、そのパラダイムが変化するきっかけを──検出するためにそのパラダイムが提供するインジケーターの感度は高くなる。

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一般的なイメージとは異なり、アノマリーが発見されてたとしても、すぐに古いパラダイムが捨てられるわけではないとクーンは言います。多くの場合、しばらくの間は観測が間違っていると無視されたり、通常科学で取り組むべき新しいパズルとして扱われるのです。

しかし、未解決のアノマリーが蓄積されていくと、パラダイムに対する科学者の信頼は揺るぎ始め、「危機」と呼ばれる時期が到来します。
危機の時代には、何がパラダイムなのかについて、科学者の中で意見が完全に一致することは無くなり、通常科学のルールがあいまいになります。
一例として、地動説を提唱したコペルニクスは当時の混乱した天文学の様子を以下のように表現したと言われています。

コペルニクスは、当時の天文学者たちが「矛盾だらけの(天文学)研究を行い、一年の長さを説明したり観測したりすることさえできなくなっています」と不満を鳴らした。そして彼はこう続けた。「それはあたかも画家が、自分の描く人物像の手足や顔、その他身体の各部分を個々別々のモデルから持ってきたかのように、各部分はみごとに描かれているものの、一個の身体を作り上げるようにはなっておらず、均整が取れていないために、人間というよりは怪物を作り上げてしまうのと似ています

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3. 新たな理論の登場とパラダイムシフトの発生

危機の時代が続くと、アノマリーの存在自体が科学者の専門家コミュニティの中で注目されるようになるとクーンは語ります。

これらの理由や、これらに類する他の理由によって、アノマリーが通常科学によくあるパズルのひとつには見えなくなったとき、通常科学から危機へ、さらには異常科学への移行が始まっている。そうなると、そのアノマリーそれ自体が、専門家集団の中で、そういうものとして[アノマリーとして]より広く認知されるようになる。その分野でもっとも優秀な人たちがますますたくさん、さらにそのアノマリーに注目するようになる。

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このようにアノマリーが広く認知されると、その分野の最も優秀な人たちがますますアノマリーに注目するようになり、結果として既存のパラダイムから逸脱した新理論が多数登場するようになるわけです。こうした新理論の中から、次の新しいパラダイムが生まれてきます。

新しいパラダイムとなる新理論は、最初は1人か数名の少数の科学者によって提唱されます。新しいパラダイムを生み出す人の特徴として、クーンは次のような項目を挙げています。

その人たちが、科学と世界に対して異なる見方を最初にできるようになるのだが、その転換を遂げるその人たちの能力は、同じ分野のほとんどのメンバーに普通は当てはまらないふたつの事情によって発揮されやすくなっている。ひとつは、その人たちは例外なく、危機を招いた問題に集中的に注意を向けていたこと。もうひとつは、その人たちは普通、年齢的にかなり若いか、または危機に陥った分野に参入してまもないために、たいていの同時代人に比べ、古いパラダイムに規定された世界観やルールに、その分野での実践を通じて深くはまり込んでいないことだ。

科学革命の構造 新版

新しいパラダイム候補となる新理論が登場した場合、各科学者はその新理論を受け入れられるかどうかの判断を求められます。異なるパラダイム間では、基本的な概念や言葉の定義などが異なるため、科学者は新旧どちらかのパラダイムの選択することが求められます。

競争するパラダイムの一方から他方への転換は、まさしく通約不可能なもののあいだの転換であるがゆえに、論理と中立的経験[理論ないしパラダイムに依存しない経験]に背中を押されながら、一歩ずつ進めることはできない。むしろその転換は、ちょうどゲシュタルトの切り替えがそうであるように、いっぺんに起こるか(とはいえ、一瞬のうちに起こるわけでは必ずしもない)、まったく起こらないかのふたつにひとつなのだ。

科学革命の構造 新版

このような古いパラダイムを捨てて、新しいパラダイムを採用する決断は、科学者にとっては非常に難しいものであり、多くの場合は長い年月をかけた世代交代の中で新しいパラダイムが広まるとクーンは語ります。

では、科学者たちはいかにして、この置き換えをするに至るのだろうか? この問いに対する答えの一部は、科学者は多くの場合、それをするに至らないというものだ。コペルニクスの死後ほぼ一世紀のあいだ、コペルニクス説に転向した者はほとんどいなかった。ニュートンの仕事は、『プリンキピア』が登場してから半世紀以上にわたり、とくに大陸では、広く受け入れられることはなかった(6)。プリーストリーは最後まで酸素説を受け入れなかったし、ケルヴィン卿は電磁気理論を受け入れなかった。こうした例は枚挙にいとまがない。しばしば科学者自身が、その転向の難しさを書き記してきた。

科学革命の構造 新版

なお、『科学革命の構造』という本の題名から、クーンは科学革命を賛美する人物だと思われがちですが、クーン自身は科学者のパラダイム転向が難しいことには否定的ではなく、むしろ既存のパラダイムへの確信ことが通常科学を可能にするという立場をとっています。

しかしこの件に関しては、証明も誤りも重要ではないというのが私の主張だ。パラダイムからパラダイムへと忠誠を変えることは、強制することのできない転向の経験なのである。死ぬまで続く抵抗、とくに創造的な研究者としての生涯を通して通常科学の古い伝統にコミットしてきた人たちが示す抵抗は、科学の基準に反する行為ではなく、むしろ科学研究そのものの性質を指し示している。

科学革命の構造 新版

また、個々の科学者が新しいパラダイムを受け入れる場合には、論理的で客観的な視点からの合理的な判断のみが行われるわけではなく、科学以外の領域が多分に影響を与えるとクーンは主張します。
代表的な例として、コペルニクスが提唱した地動説の証明に大きな役割を果たしたケプラーは、天文学的な合理性のみではなく、「太陽崇拝」の思想を持っていたことが大きな影響を与えたことが知られています。

個々の科学者が新しいパラダイムを受け入れる理由は実にさまざまで、たいていは一度にいくつかの理由があるものだ。そういう理由の中には、一見して科学とされる領域から完全にはみ出したものもある──たとえば、ケプラーをコペルニクス主義に転向させる際にひと役買った太陽崇拝などがそれだ(9)。また、経歴や気質という、その人固有の特質に依存する理由もあるに違いない。革新的な仕事をした人と、その人の先生たちの国籍や、それまでに得ていた名声さえも、重要な役割を演じることがある

科学革命の構造 新版

通常科学の時代が長く続き、説得力のある説明が洗練されている古いパラダイムと比べて、新しいパラダイムは初期段階では粗削りであることが多いため、合理性以外の価値観や審美眼が重要になるというのがクーンの論理です。

新しいパラダイムの大半は、初期のバージョンでは粗削りだ。新しいパラダイムの審美的な魅力を完全に展開できるようになる頃までには、その分野の科学コミュニティーのメンバーはほぼ全員が、それ以外の手段で説得されている。それにもかかわらず、審美的な考察は、ときに決定的に重要になるのである。そういう考察は多くの場合、わずか数名ほどの科学者を新しい理論に引きつけるだけなのだが、最終的にその理論が勝利を収めるかどうかは、それら一握りの人たちにかかってくるかもしれない。もしもその人たちが、きわめて個人的な理由から新しい理論をすみやかに受け入れなかったなら、その新しいパラダイム候補が科学コミュニティー全体の忠誠心を引きつけるところまで発展することはけっしてなかったかもしれない。

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ちなみに、少し本記事の趣旨からは脱線しますが、クーンのこうした主張は、科学の合理性を最重要と考える既存の科学哲学者達から非常に大きな反発を受け、後に「パラダイム論争」と呼ばれる大きな議論に発展していくことになります。
本記事では詳細は割愛しますが、興味がある方は下記の書籍がおすすめです。


パラダイムシフトの構造の話に戻ると、最初は少数だった支持者が徐々に増えていき、新しいパラダイムに基づく実験や論文が増えた結果、新しいパラダイムの支持者がさらに拡大していくという好循環が起きることで、パラダイムシフトが完了するとクーンは述べています。
新しいパラダイムが定着し、科学は再び通常科学の時代に戻ることで、科学革命は終了します。

新しいパラダイム候補には、最初はほとんど支持者がいないかもしれないし、最初の支持者たちの動機が疑わしいこともあるかもしれない。それでも、もしもその支持者たちの能力が高ければ、そのパラダイム候補を改良し、そのパラダイムでどこまで行けるかを探り、それに導かれて研究するコミュニティーに属するというのはどういうことかを示すだろう。その状況が続くうちに、もしもそのパラダイムが勝利を運命づけられているのなら、そのパラダイムを支持する論証の数と説得力が増していくだろう。さらに多くの科学者が転向し、その新しいパラダイムの探究が続くだろう。新しいパラダイムにもとづく実験、装置、論文、書籍がしだいに増えていくだろう。そうなると、その新しい観点に立てば多くの実りが得られるという確信を得て、さらに多くの人たちがその新しい通常科学の実践モードを採用するようになり、最終的には、一握りの年老いた頑固者だけが取り残されるだろう。

科学革命の構造 新版


個人的に今後さらに深堀りしたいと感じた問い

以上が『科学革命の構造』で述べられているパラダイムシフトの構造になりますが、最後に個人的に本書を読んで今後さらに探究したいと感じた問いを記載しておきます。

・パラダイムシフトの構造は自然科学以外にどこまで適用可能か?

『科学革命の構造』では、基本的は既にパラダイムが確立している「自然科学」の領域を対象として議論しているのですが、この構造は社会科学のような他領域にどこまで転用可能なのかが気になりました。
具体的には、現代では思考のOSとも呼べるような前提となっている「資本主義」や「民主主義」のような概念について、中世から近代以降の普及のプロセスが『科学革命の構造』の論理とどこまで類似しているのかといった問いが気になります。

・新しいパラダイムのひらめきはどこから生まれるのか?

本書では、新しいパラダイムの普及には、合理性以外の社会的な要素からも影響を受けるということが述べられており、具体的にはケプラーの太陽崇拝の事例などが書かれていましたが、こうした新しい発想が生まれることに何か傾向やパターンなどがあるのかが気になりました。
例えば、コペルニクスがなぜ地動説に至ったのかといった詳細は本書に書かれていなかったため、クーンの別書籍である『コペルニクス革命』などを読んで、深掘りしていきたいと思っています。

・パラダイムシフトと社会的なリソースの関連性

パラダイムシフトが起きるきっかけとして、通常科学の枠組みから外れたアノマリーが発生した際に、その分野の優秀な人材が集まることで新しいパラダイム候補となる新理論が生まれるといった内容が書いてありましたが、こうした事象はより一般的な領域にも転用することが出来そうと感じました。
例えば、ビジネスの領域においても、最近の生成系AIのように大きな変革が起きたタイミングで優秀な人材や資金などのリソースが集中し、結果的に新しいイノベーションが起きる確率が高まることがあると思うのですが、こうした現象との間に何か共通の構造などを見出すことが出来たら面白そうだと個人的には感じています。


こうした今後の問いについては、今後何か面白いインサイトを得られた場合には本メディアで発信していきたいと思います。
本メディアは不定期更新となりますが、もしこの記事を読んで面白いと感じていただけた方はいいねやフォローなどいただけると大変励みになりますので、どうぞよろしくお願いします!

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