早夏四連休暴走記 音使い師の日 SIDE
先に結論、「会うのがいちばん」 JRの随分前のコピーですが全くそうだった、そんな一日。
1991年5月5日、仲間内の集まりを一日楽しみ皆が二次会へ参加する中、私は一人JR金山駅に。大垣駅へ向かいこの駅を夜10時40分に出る夜行快速に乗り込んだ、翌日6日東京は調布で行われるCASIOPEAのファンクラブ主催のイベントに参加する為に。
6日午前5時前東京駅着、『ASAYAKE』がめちゃ似合う夜明けたての青の空がまだ寝ぼけている都市の上に広がる、立夏の朝。でさっそく完成したばかりの東京新都庁舎にケリを入れてきたり。
調布の会場に着いてまずロビーで見知らぬ2人の会員をナンパ基馴れ馴れしくも声を掛けてそのまま仲良くなり延びてゆく開場待ち時間中3人で喋くっていました。ホール内からは音が漏れ聞こえて十八番の『ASAYAKE』が何度も何度も演奏されているのだが、なんだか音が変だった。もたっているというかフラフラな感じ、がこの時はさして気にしてはいなかった、この時は。
12時開場、一家揃ってクジ運の無い私が席のクジを引くことになりヤケで引いたら、一列目真ん中辺りのを出してしまいました。真剣に驚いてしまった。アタマハッピー浮かれ状態のまま、開演。
司会の会員スタッフさんの挨拶の後、始まったのは徹〇の部屋のようなテーブルやらソファーを置いて行われた『実の部屋スペシャル』向谷さんが中心のトークショー、野呂さん→日山さん→鳴瀬さんと一人ずつ増えてゆき何故か後半アブナイ話しで一人盛り上がった、『青い山脈』が登場音楽だった方が。向谷さんはセットの瓶詰めゼリービーンズをひたすら食してたり。気に入った模様。日山さん登場の際に「ヒャッピー」コールをしてもうたのは我々3人、受けてしまわれたようで、あいやー。
次にゲーム大会、『CYBER ZONE』がかかっている間に参加者の席の後ろに貼られた数字の紙を10枚以上をかき集め足し、合計数を新作アルバムの発売日5月25日に因んだ525にするゲーム、罰ゲーム付き。ノリが知力体力声のデカさ、見ている分には楽しいですが集めている4名様は大変そうで。この時発覚したのは某氏が計算が苦手とのコト、ヒント・理数系な方。
ゲームの結果罰ゲームをする羽目になったのは鳴瀬さんと日山さん、居直ってやったのは“アフロヘアでバナナの叩き売り”、鳴瀬さんの声はデカかった、ベースの音と同様に。めちゃ皆様に受けた。こっそり私は鳴瀬さんのアフロ姿はドリ〇のコントの雷様に似ていると思ったり。ハイ、殴ってよし。日山さんの金髪バージョンはひたっすら笑ってしまった。そのバナナを1000円で買ったのは私と並んで座った2人の内の片方さんでしっかり家に持って帰っていった。
さて二部は新作の『FULL COLORS』LDバージョン、『MOTION PICTURES FROM FULL COLORS』の上映から開始。3曲中2曲昔の記録映画らしきの画像と今のCASIOPEAの演奏する姿が交互に映され、映画をみているみたいで気に入った。その中で『PURPLE HOURS』の画が良くて世界はいつでもどこでも動いていて、どこかで戦争をしていてどこかは平和で、でも空だけは変わらずただ暮れてゆく……。後日ですが、もしかするとこの曲は突き詰めてゆくと私のライフワークテーマ“人の出会いと別れ”に繋がってゆくのではないかいと思ったり。CD出てからじっくり聴くだ。
上映が終わると司会の2人とメンバー4人が登場し『FULL COLORS』CDバージョンの音を交えながら-さすがにフルコーラスかけなかったが、曲紹介と制作苦労話、特に某氏の『AKAPPACHI-ISM』などを和やかなムードでトークの花が咲く中で時々ゼリービーンズを食す向谷さん、そればっかり。時が経つのも早いものでラストのプレゼント抽選コーナーと相成り、バラエティ豊かな品物が出され、其れを婦女子にあげたいと力を入れてクジを引く鳴瀬さん、結果は4人中3人が婦女子、一人男性を引いた後の表情は、笑っちゃったよ、ったく。斯くしてステージ真ん前の席で涙が出るほどに笑い集いは終わった、がまだオマケがあった、これがまた。
30分の待ち時間後、再びホールに戻り目に入ったのはステージに並んだ楽器たち、但し(確か)アンプ無しの。それから始まったのはテレビ番組、かの『MUSIC PARTY』の収録で、早速『ASAYAKE』をワンコーラス演奏した後で“挑戦”というコンセプトの元、ギター日山さん・キーボード野呂さん・ベース向谷さん・ドラムス鳴瀬さんという二度観られぬかもしれない貴重な演奏が行われた。向谷さん曰く「自分が苦手だという楽器」に取り替えての『ASAYAKE』基『MUNEYAKE』を奏でた、のだが、結構、ね、上手くいかなくて、3テイク目でオーケーに。もう4人とも必死こいて慣れない楽器に立ち向かっていた。観ながら開場前に漏れ聞こえていたのはこの音だったのかと納得したのだった。
この後いつもの楽器に戻り新作から『FIGHT MAN』をカッコよく決め、この曲は絶対スタンディングでノるべき曲だと思った。で、ここで一旦メンバーは引っ込んでからアンコールを求める怒濤の拍手の中再び4人登場「リハーサル無し」で『GALACTIC FUNK』を演奏。この曲での野呂さんのソロはホントサイコー! 真ん前で観られて嬉しかった。そして収録終了、全てのプログラムを終えた。
ざわめきながらホールを出てゆく人々-会員さんたちは皆ニコニコいい顔をしてました。私も嬉しくってファンクラブのスタッフの方々に「お疲れ様でした!」と声掛けまくってました。そういえばバンドのメンバーもすんごくいい表情していましたね。トークショーの時もゲームの時も楽器持っている時も。
振り返るとあの日はたくさんのいい表情-コレは笑顔だけを指してはおりません-に出会えたと思っています。ナンパした2人もボビー編集長さんも司会者のお二方も他のファンクラブのスタッフさんたちも文通していて当日会った方も、あの日に集まった見知らぬファンの皆さんも、何よりCASIOPEAのメンバー、野呂さんも向谷さんも鳴瀬さんも日山さんも。
5月6日という日は終わりましたが、また何処かでたくさんのいい表情に出会える事を楽しみにしております。それまで、せーのっ、頑張ってください。
そして立夏、“夏”が動き出す---。
以上、『~not frustrated act.12』で触れた初めてのCASIOPEAファンミーティング、のレポートでした。91年、30年前、いろいろ無茶が出来た時代よ。この年のゴールデンウィークは東京でラジオ番組の生公開放送を見に行き、知り合いの集まりに参加してそのままこのイベントに行く為に大垣夜行に乗ったそーいう意味でも無茶し、その諸々をまとめて書いたのがメインタイトルの『暴走記』、無理やりな漢字の使い方は今みるとちゅーに感満載。尚、大垣駅まで行ったのは始発駅で乗車しないと名古屋駅に着く頃には座れないくらい当時から土日祝日は混むんで。座れても寝るのは大変だけどね。大垣夜行が無くなるのは残念ですが、今は体力的に辛いちゃ辛いなぁ。そして現都庁が出来たばかりで東京に着くとまず新宿に行き朝7時くらいに歩道橋から一人眺めたわ。
会場でナンパ笑はホントでこの頃は別ジャンルのイベントで頻繁に一人でいる女子に声掛けて仲良くなっていた流れで、此方でもそんな感じの人に思い切って話し掛けたら気が合い以降長い付き合いに。この時からCASIOPEA絡みの座席決めでわしのおかしな運が覚醒したのじゃった。この頃は会報作成やらイベント運営もファンの人が中心に動いていて、当時の編集長さんとイベント以前から電話で何度か話したのもありこの時うなぎパイを土産に渡したっけ。お元気かのぅ。
イベント自体はレポート以上に色々あった。トークは鳴瀬さんの伝説のan・○nインタビューが最大の盛り上がりに。野放しでも大丈夫だった時代よ。罰ゲームのアフロはカツラでしたがコレはさすがに今、も事務所にあるんだろか。『PURPLE HOURS』の映像版は好きですね。モノクロの映像の中で車のテールランプとかの赤だけが色があるシーンは色々意図を考えます。後半のヘタオピアは当初プログラムには無い本当に急に追加された件で、TBSでこの翌月くらいにオンエアしたそう。ユーチューブにこのオンエア映像があり近年メンバーもコレを見たと話してますが、個人の方のアップなんでリンクは張りません。撮影する為『MUNEYAKE』も、振り返るとお客さんの前では初演奏ではな『FIGHT MAN』も座ってましたが、アンコールはスタンディングの許可が出てめいっぱいノりましたわ。他にファンアート作品展示コーナーも会場内にあり、各メンバーが作品を選んで賞をあげてました。この時の日山賞の賞品を訳あって授与者さんからある時に貰い、今も有ります。
ここからCASIOPEA好きな仲間が増えてゆき声掛けた子たちとファンクラブ主催のバスツアーに参加し大暴れしたり、ジャズフェスに仲間と観に行く追っかけの日々が暫く続くのでした。97年末にあったイベント以降から参加しなくなりファンクラブも退会し離れたので、その間ヘタオピアがあったかはとんと不明、3rdになって以降のファンミで復活しすっかり恒例行事になった模様で。次のファンミーティングこそは直参したいものです。二年毎、再来年と云わず来年の開催を希望したい、2022年で3rd付いて10周年なんですから。是非、とここでお願いして届くやろか笑