見出し画像

渾身の1作を応募してから私の中で変わったこと

先日、集英社はオレンジ文庫の2025年ノベル大賞に応募しました。
ジャンルは海を舞台にしたファンタジーです。もともと短編として書いたものですが、大変気に入ったので長編として書き直しました。有償の講評サービスもお願いし、自分でもかなり手応えを感じている作品です。
正直なところ、文章だけで言えば過去最高のクオリティだと思います。ストーリーはまだまだ伸びしろがあると思うのでわかりません。ただ、間違いなく面白いとは思います。
結果は1次選考が4月、以降8月までドキドキが続きます。

さて、この作品がわたしにとってある種の転機になりました。
今回はそのことについて、自分用の覚書として記録しておきたいと思います。


初詣に行って気が付いた

去年の初詣では「受賞しますように」とお祈りしていました。公募に挑戦し始めて3年、不安になるたびに神社に行っては「受賞しますように」とお祈りしてきたものです(もちろん、結果が出たらお礼にも行ってるョ)。

ところが、4年目に入った今年。
初詣で「受賞しますように」とはお祈りする気になりませんでした。

自分でも不思議に思ったのですが、代わりに心の中で口をついて出た言葉を聞いて納得しました。
「今年は〇〇賞と〇〇賞で受賞します。デビューして家族や応援してくれている人たちに恩返しをしたいです。だからどうか、見守っていてください」

我ながら、なかなか強気に出たものです。
しかし同時に気が付いたのです。

「あ、わたし今まで公募を神頼みで応募してたわ」、と。

数撃ちゃ当たる?神頼み戦法

それまでのわたしは「数撃ちゃ当たる?神頼み戦法」を取っていました。

毎日ほとんど小説を書くことしかやっていなかったので、どんどん書いてどんどん出さなければならない、という強迫観念もあったとは思います。
また、そもそも応募を始めたきっかけが「どうせ公開するなら応募しておいて、もし受賞したらラッキーじゃね?」という年賀状のお年玉くじ程度の意識だったものですから、とにかくなんか書いて出せの勢いだけで頑張っていたのです。

そんな程度の認識でしたから、とりあえずなんか書いて出して、「どうか何かの拍子に受賞しますようにしますようにしますように…」と必死に神頼みしていたわけです。

「公募は運だ」と多くの人が語ります。
その要素はもちろんあるとは思うのですが、たぶんこういうこと(神頼み)ではないです。美味しいリンゴと美味しいみかんと美味しい西瓜が揃っていて、その中でどれが選ばれるかみたいな話だと思います。
だから「運」という言葉に甘えてしまうのは本当はあまるよくないのかもしれません。やはり自分の実力を上げていくことが第一なんでしょうね(自戒)

自分の力で獲りに行く

ですが、公募3年目の去年からですね。認識が変わってきました。
それは「これは選考を通らないな」というのが感覚でわかるようになったこと。
もっとも、これは自分の作品に対してだけ働く直感です。ということはつまり直感でもなんでもなくて、「潜在意識的に気付いているけど見てみぬふりをしていた作品の欠点を直視できるようになった」だけかもしれません。

とにかくその結果、わたしの中でじわじわと変化が起きつつありました。
「形だけでも応募実績をつくっておく」という最も低い意識から、「獲れる作品を叩き付けに行く」というより殺意高めな意識へと変貌しつつあるのです。それが、冒頭の作品を仕上げることによって明確なものとなりました。

それに気付いたのは本当に最近のことなので、実践できたのはまだ冒頭の1作だけです。わたしの認識もまだまだ過渡期にありまして、某投稿サイトのコンテストなんかはお祭りに参加したいがために「とりあえず投げている」状態を続けています。
ですが、これからは「獲りに行く」作品だけをチョイスして応募していきたいものです。これが今年の目標かな。

いや、お前の今までが意識低すぎるだけで、わたしゃ普通にいつも渾身の1作を応募しとるわ。という方は本当にすみません。これからは同じ土俵で戦っていきますので、どうぞ対戦よろしくお願いします。

さいごに

獲りに行くって言っても、賞の傾向と対策を練って云々…って話ではないです。色んな人の話を聞いていて、「受賞した後のこと」も考えるようになったのですが、わたしは2作目も出したいしその先もずっと作家でいたい。だから、そういう戦略的なことはしないと思います。ていうかできるほど柔軟な性格をしていない。

わたしの好きと得意を見つけて、それを武器にする術を学ぶことかな。
アマチュアという無限に挑戦できる時間を最大限に活用して、その術を模索していきたいと思っています。

はぁ~~~~~!!!!受賞してぇ~~~~~~~~!!!!

いいなと思ったら応援しよう!