好きを発信するということ
こんにちは!続けるって一番難しいな!と考えるあゆむです。
今日は趣味を真剣にやっているからこそいつも考えていることをちょろっと話そうかなぁ〜なんて。ちょっと真面目な話になりそうですので良かったら最後まで見てあげてください!
本気で好きになる。
皆さんは本気で好きになった。夢中になったものってありますか?
恋愛でも、スポーツでも、なんでもいいです。毎日それを考えて、
毎日そのことで一喜一憂する。自分の心臓がそのために動いてるんだ。
そう思えるくらい本気になったことはありますか?
恥ずかしい話、今までスポーツを10年間やっていましたがそこまで本気になったことはありませんでした。
僕にとって本気になれたものは「カメラ」であり「写真」です。
本気になることってすごく嬉しいことだし、今までつまらなかったものも本気になれる物を見つけたおかげで楽しい人生になったと思っています。
しかし、時々不安になることがあります。「周りの評価」です。
カメラを始めた時に昔から僕のことを知っている人は「キャラじゃなくね?」とか、「もっと違うことにお金使いなよ」と言われることもありました。争い事は好きじゃないのでその場では軽く流しましたが、帰り道を一人で歩いているとなんとも言えない気持ちに包まれます。
自分が本気になっているものに水を差すということは自分そのものを殴られてるぐらい気分が悪いものです。
なるべく知り合いに知られたくない気持ちから写真アカウントは見知らぬ人たちで構成したいと思っていても顔や名前でフォローしてくる知人もいます。
ここまで書くと色々ツッコミどころが出てくると思います。鍵垢にすればいい。一人で撮ればいい。人に見せなければいい。その通りだと思います。しかし、僕の中で「写真」というのは自分の中までさらけ出して表現できる唯一の方法なのです。その表現を自己満で終わるよりもいろんな人に見てもらいたい。そんな思いもあります。すごく矛盾してると思うのですがそれも僕だと思ってます。
僕はロマンチストであると同時にリアリストでもある。表裏一体で悪い言い方をすると面裏がある人だと思います。そんな自分だからこそ普段思ってること、口に出せないことを写真とエッセイを込めて送り出しているのです。
そのくらい魂を込めて撮った写真、言葉を少し自分を知っているから、この人は少しいじっても大丈夫だろ。と軽い気持ちでバカにされることが一番心苦しい。
最近知人がインスタをフォローしてくれることが増えたので不安な気持ちが出てきたので書いてみました。
「何やってんだ。寒いぞ。」ではなく、
「ふーん。がんばってんだなぁ」ぐらいで暖かく見守ってもらえると助かります。
と言うわけで好きになる、発信することについて僕の考えを書いてみました。
真面目すぎたわ。そんな一面もあるギャップに感パーオ!!!!!!!
うへへへへへへへへへへへへへへへ。
これで相殺??笑