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すれ違う人は、がん患者かもしれないと思って過ごす
私は中学生の時に父を亡くした。
肺がんだった。
生活習慣よりも職業柄の因果が強く影響した。
抗がん剤治療、放射線治療は体力と食欲を奪い、最終的には薬の副作用で肺胞出血を起こし、最後まで痛みと苦しさを伴う壮絶な闘病だった。
まだ通院と入退院をしながら治療し始めた頃、抗がん剤の影響で髪質が変わり、くるくるとした毛質を父は案外気に入ったようで、家族で出かけたりもした。
このデパートで、元気そうな父をすれ違う人が見て、一体誰ががん患者だと思うだろう。
私はふとそんなことを思った。
父を、人が沢山いる混んだ所に連れていくのは嫌だとか、
風邪をうつしたりしないよう、怪我を負わせることのないよう、気を付けて日々を過ごさなければ。
そんなことを考えられるのは、家族しかいなかった。
あれから25年も過ぎて、高額医療費負担増のニュースを見た。
子どもを持つがん患者の方々の訴えは切実で、気持ちが痛く伝わってくる。
ささやかながら、この制度に少しでも違和感を感じる人が増え、変化が起こって欲しいと思う。
それと同時に大切にしたいのは、少しの思いやり。
誰に対しても、見知らぬ人でも、
決め付けで人を見ず、優しさを持ち合わせることが世の中には必要だと思う。
だれしもバスや電車、病院など、他人と関わる瞬間がある。
私が大学生だった15年近く前までは、
通学時に高齢者から席を譲るように怒られたとか、
優先席に座っていたら嫌な顔をされたとか、
友達同士で話題になることが度々あった。
「そりゃ私たち若いけどさ、生理が辛いときや貧血で通学のバスや電車で立ってられない時も、やっぱりあるよね。」
って、これを高齢者にわかってもらおうと反抗する気持ちもなく、諦めモードのままお互い慰め合うしか出来なかった。
ヘルプマークの知名度が大きく普及したこの頃では、若い人が優先席に座っていても、以前ほど叱られるとか嫌な顔をされるということが減ったかもしれないけれど、
やはり歴史の始まりからしても優先席はお年寄り優先から始まったもののため、一にお年寄り、二に妊婦さん、三に体の不自由な人という認識をしている人はまだ沢山いて、
そのような認識の狭さから優先席に座る人を見た目で判断してトラブルになっているという話題をSNSで見かける。
世の中には、目に見えない病気が沢山ある。
がんだけでなく、平静に見える人が辛い治療に耐え日々を過ごしていることも、想像できた方がきっと良い。
相手が病気だろうがなかろうが、親切であることが当たり前ならそれが一番良いと思う。
通勤電車で体が触れないと通れない時は「すみません」と言うのも、行動のひとつ。
気づく・気づかないは人それぞれだから、人に強いるものでは無いけど、
もしかしたら、と思って席を譲ったり、心配して行動するのは悪いことじゃないと思う。
相手が自分に対してどうあるかの前に、自分が相手に対してどうあるかが大切。
少しでも広い視野を持って人に少しの気遣いができれば、温かい行動に繋がると思うし、自分も人の優しさを有り難がれる。
そういう世界に生きたいな。