「魔王」 読んだ
洪水の中で流されない1本の木になりたい。
うーーーいやーーーうーーまさにこれなんだよなーーーはーーーー。
伊坂作品やっぱ好きです。
(以下ネタバレっていう程のネタバレは無いけど、
読んだ奴の戯言なので、読破後推奨)
安藤兄弟の不思議な力の出自も、バーのマスターの不穏さも、犬養の今後も。物語として広げた風呂敷って別に何一つ畳まれていないのに、この圧倒的世界観の渦に飲み込まれる感じはなんなんだ?
えー、いや凄いとしか。確実に不穏な何かが物語の背後で渦巻いていて、その断片を感じる事はできるのに、物語が絡み合っていかない。漠然とした不安と希望を抱えたまま終わる…そんな話ある!?なんだこれ…なんで物語として成立してるんだ??
まさに作中通り、シューベルトの魔王なんだろうなぁ。近くまで危機は迫っているのに、見ようとしなければ、見えない。知ろうとしなければ知ることもできない。でもこの話の怖い所というか、誰が「魔王」なんだろうなって、そこなんだよね。ページの外側に託されてしまった今(続編はあるらしいけれど)抱いてた不安は全て杞憂かもしれない。「兄貴はいつも考えすぎなんだよ」っていう潤也君の台詞そのままだった可能性もあるわけで。もしそうだったとしたら、視界って一気に反転する。続編読むの、怖いような楽しみなような。
ひたすらに問いを投げかけられた時間だった気がした。考えろ、考えろ、マクガイバー。今は容易く人の意見を目に出来る時代だから余計なのかな。自分で考える事を放棄して、他者のそれらしい意見になんとなく乗っかって生きていく。
自分なりにそこに信念とか何かを抱いているなら、それは悪い事ばっかりでも無いと思うけど…。
「デタラメでもいいから自分の考えを信じて対決していけば」この辺りにとてつもないシンパシーを抱いてしまったから、こんなにも惹かれるのか…。決して万人に薦められる作品で無い事だけは…わかる。不思議すぎる…。
後半「呼吸」の章から視点が詩織ちゃんに変わるの、とても良いなー。潤也くんの内面が見えなくなるから、何を想ってるのかがわからないのが、全体像をぼかすのに一役買ってる気がしている。細部を鮮明にして全体をぼかす手法は、莫大な何かを表すのにはあまりに効果的で、手腕を思い知らされた心地。
初見時、千葉さんにまっったく気が付かなかったの、ほんっっっとに悔しい!
うわぁ!そうだったのか!アレがソレか!ってなった後、千葉さんが絡むという事は、病死ではない=他殺=マスター怪しいの図式が簡単に出来上がって、震えた。一つ埋まると周りが埋まっていくナンバープレイスみたいな仕掛けだな!?心地よさと同時に訪れる恐ろしさってなんだよ…感嘆の溜息しか出ない…。
でもそこがメインテーマじゃないというか、わかる人だけわかってくれるならそれでいいみたいな書き方なのがまた好感もってしまう…。
感性、思考の一致は何よりも惹かれる要素だと痛感した。盲目に伊坂さんを信仰をしたいわけではないけど、着いていきたいなぁと、改めて思ってしまった。それだけ。
とりあえず次は「西の魔女が死んだ」を読みたい。その後「砂漠」読もうかな。