うるう 静岡公演観劇
一人になりたがるくせに 寂しがるんだね。
4年前、見に行きたいと思った時には既にチケットは完売。いつか絶対に見に行く、と固く誓い、あっという間に迎えたうるう年。うるう、うるうと鳴くオバケが居る森の中へ、ヨイチさんに会いに行ってきました。
いつも一人余る、いつも一人足りないヨイチという青年。学校で組体操をしても、いつも一人余る。ただの体操。騎馬戦をしても、一人余る。ただの馬戦。二人三脚でも、余る。一人二脚。あまりの1、それを体現したような人が物語の主人公、ヨイチさん。
時々じゃない、いつも一つ足りない。一人、余る。足りない。足りなくなりたい。
そんなヨイチさんは、余るのに疲れて、森で暮らし始めます。森なら余ることは無い。森には数も無い。
「100個数えて実る木の実は無い。1000枚数えて散る枯葉は無い」
森の中で、余る事も、足りない事も気にせず悠々と暮らすヨイチさんの元に、ある日8歳の少年が現れます。マジルと名乗るその少年は「うるう」と鳴くオバケが森に棲んでいると聞いて探しに来たんだと、ヨイチさんにそう話します。
「うるうなんて鳴くお化けは居ない。フクロウの鳴き声を聞き間違えただけだろう。ここには私しか居ないし、私はお化けじゃない。ここで私を見たことは絶対に言うな、そして二度と来るな」
ヨイチさんはマジル君を追い返しますが、マジル君は森の中で暮らすヨイチさんに興味を持ちます。好奇心旺盛なマジル少年は、ヨイチさんの事をもっと知りたいと、毎日森へ向かい―――
はっきり言って、中身がすごく濃い話かと言われると決してそうじゃない。終盤にドンデン返しがあるわけでもなく、劇的なエンディングが待ち受けてるわけでもない。でもこの舞台が2012年からうるう年の度に再演され、すぐさまチケットも完売するほど人を魅了しているのは、偏に小林賢太郎の「演出」の素晴らしさに魅せられるからだと、そう思う。本当に魔法にかかるんだ、かかってしまう。
この舞台、キャストはヨイチ役の小林賢太郎とBGM担当のチェロ奏者(徳澤青弦さん)の2人しかいない。重要人物のマジル少年は、いない。全て小林賢太郎の一人芝居と、舞台隅でチェロを弾く徳澤さん(喋ったりはしない)で、お話は進む。
ヨイチが仕掛けたウサギ用の落とし穴に、マジル少年が誤って入ってしまったところから、2人は出会う。舞台上にはもちろんヨイチさんしかいない。ヨイチさんの反応を鏡として、観客は「あ、今マジル少年はヨイチをバカにしたんだろうな」とか「多分、今切株の上で笑っているんだな」とマジル少年を補いながら、舞台を見る。
同じ2月29日が誕生日のマジル少年とヨイチさんは、似ていたけれどまったく違った。マジル少年もいつも余りの1だったけど、彼は音楽コンクールで余ればピアノ奏者になり、学芸会で1人余れば主役になる、そんな子だった。いつか音楽家になるのが夢だと話すマジル少年は、足りない、余分な1のヨイチさんとは全然違う。選ばれた1を持つ子。
マジル少年は、ヨイチさんに「友達になろうよ」と何度も何度も語り掛ける。ヨイチさんはそんなマジル少年を断固として拒絶する。
「友達ってのは同い年くらいの人がなるもんだ。僕と君じゃ年が違い過ぎる」
でもマジル少年はちっとも諦めない。ススキでヨイチの肩を叩いては「友達になろう」と誘う。ヨイチが繕う布を引っ張っては声をかけ。洗濯物を干すのを手伝っては誘う。全部、舞台には一人しか居ない。賢太郎さんのパントマイムでしかない。
中盤、マジル少年は「ウサギの捕まえ方の手引きが欲しい」と言ったヨイチさんの為に、「まちぼうけ」という童謡の歌詞を書き写してプレゼントする。いつも一つ足りない、余りの1だったヨイチさんは、初めての贈り物に喜び、マジル少年を自分の秘密の畑に案内する。ついておいでと手招くヨイチさん。
慣れない森の道で歩みの遅いマジル少年。ヨイチさんはそんなマジル少年の「手を引いて」森の奥へと歩いていく。
手を引く直前。ピンスポットがヨイチさんの手に当たり、導くように手を握り込む。スポットが絞られるその瞬間。今まで補間していたマジル少年が、パッと舞台に浮かび上がる。びっくりするほど、鮮明に。誰も居ないはず、一人芝居のあの空間で、マジル少年が急にふと見えるようになる。そんな錯覚を起こす。
ずっと演じてきたパントマイムが形を成す瞬間に、本当に驚いて。ああ、これを見に来たんだな、と妙に納得をしてしまった。この作品の映像化は考えていないと言ったコバケンの意向の断片はここかなぁ、と。きっとこの感覚は映像では味わえない。あの衝撃は、生で見たからこそだと。
<以下物語の核心に触れますのでご注意>
うるう日生まれのヨイチさんは、実は、本当に4年に1度しか年を取らない、不思議な生態を持つ人間だった。38歳の見た目のヨイチさんは、実はもう152年の時を生きている。理解者の父親も、大好きだった恩師も、初恋の女性も、みんな自分より先に死んでしまった。目まぐるしく変わる社会についていけず、ヨイチさんは森に逃げた。いつか置いて行かれるなら、友達も作らないし、要らない。1人で生きていく。余りの1として。
マジル少年に全ての事情を話し、全てを拒絶して、ヨイチさんは逃げるようにさらに森の奥で静かに暮らし始める。そのまま時は流れ、マジル少年に出会ったあの日から、40年が経過していた。ヨイチさんは10歳だけ年を取って、48歳となった。
ある日、ヨイチさんは森の奥でチェロの音色を聞く。「こんな森の奥深くで、楽器を弾くなんて変わった奴だ」と耳を澄ます。カノンに混じるように聞こえた「まちぼうけ」の童謡に、弾かれたように音の鳴る方へ駆け出す。森を抜けた先で、ずっと舞台に立っていたチェロ奏者と、ヨイチさんが目を合わせる。
立ち上がった「48歳のマジル少年」は帽子を取って、深々とひとつお辞儀をする。今度は、同い年の友達として。
何も考えず、序盤を見ていた時にはどうしてマジル少年に誰かキャスティングをあてなかったんだろうな、と思ったのです。1人芝居よりも2人の方が、物理的に表現の幅はぐんと広がるのに。
全てを見終わった今は、何て野暮な考えだったんだろうなぁ、と反省するばかり。だって、マジル少年はちゃんと最初から舞台に居たんだから。
(わらいどころ)
・相も変わらず言葉遊びがうまかったなぁ…楽しい。
始め、ヨイチさんをお化けだと思っているマジル少年は、幾度もヨイチさんに「僕の事を食べるんじゃないか」と怯えた声をあげる。「人間だから食べないよ」と何度言っても信用しない。
「口がうまいんだね」「君の考えは甘い!」「苦い思い出だ」
そんな言葉が出る度、「うまいってのは君の事じゃない!」「甘いってのは、そーいうことじゃなくて!」「苦くない!僕は!人を!食べない!」と味について変換していくの、本当に面白くて好き。かわいい。日本語って面白い。
・「キャベツをさ…こう、そーっと…そーっともうキャベツもわからないくらいそーっと捲ってさ、中心部だけくり抜いて、そこに代わりにトマトを入れるの。それで葉っぱを戻して、ザクっと切ったら、キャベツの内臓みたいに見えないかな!!!ないのに!!キャベツに内蔵なんて!!!!ないのに!!!!!」 すげえ楽しそうだった。ヨイチさんぼっち極めてんな。
・(余り物だと同級生に囃し立てられる歌をうたわれて)「くそう…馬鹿にしやがって!僕も練習してやる!ええと、♪あんたがたどこさ、肥後さ 肥後どこさ えー…熊本方面さー…熊本どこさ in the house」
言い方!たどたどしさの中の言い方!!!ずるーいずるーい…腹抱えて笑ったぞ…もうあんたがたどこさ正しく歌えなくなるやつ…
・「もう二度と来るなって言ったよね!?ここは僕の家なんだから、謂わば君は家宅侵入罪だぞ!とっとと僕の応接室から出てってくれ!(マジル少年、少し離れる)そこはまだリビング!(左にずれる)そこはダイニング!…リビング!…ダイニング!!!あのさぁ!?君!出てってくれって言ったのになんで左右に動くだけなんだよ!」 テンポが最高、この辺りもホントにマジル少年が見える。
・「友達って言うのは同い年くらいの人がなるもんだ!だってさぁ、仮に、仮にだよ?君のお父さんがね、8歳くらいの少年を連れて家に帰って来てさ。「やあ、マジル。この子かい?この子は、お父さんの「お友達」だよ。さあ、向こうの部屋に行こうか…」とか言ってみなよ!……山ほど質問が思いつくだろ!?そういうことだよ」
すきー。笑ったー。「おかしいだろ」とか「変だろ」じゃなくて「山ほど質問が思いつくだろ?」っての本当好き。それな、としか言えない。聞きたい事しかないもん。
・「いいか…!僕の事は忘れろ!もう二度とここには来るなよ!わかったらとっとといけ!じゃあな!……またあした!」←かわいいしかない
・「うーさーぎおいしーかったー。こぶなつーりしたけどーうさぎーのがおいしかったー」ずるい。ただただずるい。
・(マジル少年にこの数字は何を数えたものか、と聞かれて)
「この一番多い数は、焼き鳥屋で普通に串から直接肉を齧って食べてた人の数。2番目は、一回こう…串から抜いて、それを箸で食べてた人の数。この辺の少ないレアな奴は、こう…お互いに串と串で肉を抜いて、さらにその抜いた串を箸として使って焼き鳥を食べてた人の数だ!」そんなやついるかよ!!!
・「この一番多い数は、すし屋で普通に醤油をつけて食べてた人の数。この真ん中あたりのは、ネタを剥がして醤油に付けて、自分でヅケにして食べてた人の数。この辺りのマイナーな奴らは、醤油をつけずに寿司を食べて、その後醤油を呑んでたやつの数だ!追い醤油スタイル!」そんなやついるかよ!!(2回目)ここって日替わりなのかなぁ…気になる。
また次見れるのは4年後なんだろうか…うるうロス…。なんだかんだ言いながらやっぱり映像化もしてほしい気持ち…(わがまま)