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天然ボケのフリしとき!と母へ言う

わたしは母と仲が良い。わたしにとってこの世界で一番気を使わなくてよい人、それが母。
そりゃそうだ。この37年間で数え切れないほどわたしの涙も鼻水もよだれもう●ちも拭いてくれた人だもの。独身会社員平均貯蓄以下の銀行口座残高以外なにも隠すものなんてない。(怒られそうw)

なのでわたしが趣味の野球観戦や旅行に誘うのはほぼ100%母である。まぁわたしの野球好きは母の影響だし、一緒に旅行するのは「親孝行」込みでもあるし・・・と言いながらこちらの選んだ場所・ホテル・旅程に黙ってついてきてくれるし道中話し相手がいないと寂しいので一番簡単に誘える母を選ぶ。

と、一旦、母のことが好きアピールをしておく(笑)



仲が良くて大事な母とはいえわたしとは全くの別人格である。

なんだ・・・この人・・・?

と思うこともたくさんある。


母はパート勤務である。客商売だし、5時間以上立ちっぱなしだし、女社会だし。わたしは座り仕事のPC仕事で基本的に「お客様」と関わることのない仕事なので、対「人」の仕事のしんどさはわからない。
お昼ごはん休憩も1人でお弁当を食べているので、食堂でみんなでお菓子を交換する文化も知らない。
いや、例えわたしが同じような仕事をしていたとしても母と違う職場・違う人間関係であればやっぱり母のしんどさはわからない。今より少し共感度数が上がるかもしれないが。


だが。

母は愚痴る。凹む。引きずる。


え?それを今、言って何になるん・・・?

と思ってしまう娘のわたしが酷いのか。


家に帰ってきてからあーだこーだ言ってもなにも変わらない。
ましてや娘のわたしに言ってなにが変わる?てか、家にまで不機嫌を持ち込んで八つ当たりするのやめろ(笑)


あー今日も疲れた。ぐちぐちぐちぐち・・・でも今から晩ご飯作らなあかんのやろ。しんどいわー。ぐちぐちぐち・・・

じゃあ作らんでいいやん。

何にも食べへんわけ?!

とキレてくる。


どないしたらいいねんwwwwwwwww 


きっと母にとって「晩ご飯」の準備は「自分がやらなければいけないこと」で、わたしの為(昔なら父や弟も含めた家族の為)という義務感があるのだろう。もういい大人なので無かったら無かったでテキトーにするんだけどw
そうなると「母の役割を放棄した」気になってしまうのかもしれない。


大人になって冷静に物事を考えられるようになると、母は昔から勝手に「わたしがやらなきゃ!」と思い込みが激し人だったんだなとわかった。
誰も「やってほしい」と言ってないのに勝手に「やらなきゃ!」と思って一生懸命やって疲れる。
いや、「やってほしい」とは言われてなくても「やってほしそうなオーラ」を感じとってしまうのかもしれない。


うちの母、ちょっと抜けててボケてんなーって思うこといっぱいあるけど。その一方で責任感のあるいい人なんだよね。
あなたがやらなくても誰かがやるし、肩の力を抜いて生きろー!!!と思う。


「天然ボケのフリして気づかんかったことにしとき!」

これはわたしが母へよく送るクソみたいなアドバイス、通称「クソバイス」である。


気が利く人はどんどん気が付くから仕事が増えて疲れるし、天然だったり鈍臭かったりで仕事ができない人はなぜか「そういう人だから仕方がない」って許されたりする不条理な世の中だなと社会人になってから強く思うようになった。


わたしは他人に愚痴るのはあまり好きじゃないし、他人に見える形で凹んだり引きずったりしないように心がけているのだけど。
これってこの「母の姿」が嫌いだからだ、と思った。人格ってこうして作られていくんだな(笑)


とか言いながらこうやってNoteに愚痴ってるから一緒かw
家族に吐き出すか誰も知り合いが見ていないSNSに吐き出すか。年代によって吐き出す場所が違うというただのジェネレーションギャップか?!!



まぁこんなことを書いていますがたった1人の家族なのでこれからも仲良く一緒に暮らしたいと思っておりまする。(弟は独立して別家庭を持っているので家族から除名ですwwwwwwwww)

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