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おばあちゃんの手料理
今日はふと、ばあちゃんの作るご飯が無性に食べたくなった。
朝、雨も降っていたし今日はお外で遊べなさそうだったので。
ばあちゃんに息子の顔を見せにふらっと行ってきた。
電車を乗り換えて30分くらいなんだけど、やっぱり前よりは行かなくなってしまった。
社会人になってから結婚するまでの5年間ばあちゃんちでお世話になった。
実家から通うより近いとゆう理由だったけど、本当にこの5年間をばあちゃんと過ごせたことは感謝しかない。
感謝と同時に後悔がある。
昔からばあちゃん子で育ったわたしはやっぱり当時、若くて自分のことしか考えてなくて、優しく見守ってくれるばあちゃんに甘えてた。
仕事の忙しさを理由に、
全てやってもらえるのが当たり前で。
帰りが遅くなって、心配かけた夜も何度もある。多分ばあちゃんはわたしがいた間ゆっくり寝られた日はないと思う。
新卒で入社した会社のブラック的な労働環境に感覚が麻痺していって、
当たり前じゃない優しさ、思いやりでやってくれる行動をわたしは全て鬱陶しく感じていた。
オフはとにかく1人でこもりたくて。
誰とも話したくなくて。
心配してリビングでご飯を作って待っててくれるばあちゃんに向き合わないようにして、
毎日ささっと支度して家を出ていた。
今思うと本当に最低な態度だったと思う。
一度だけ深夜帰ると寝ないで待っていたばあちゃんに叱られたこともある。
その時のわたしは酷い言葉を一言はなち、
その後は黙り込んだ。
とにかく1人の時間がほしくて。
今思うとそのときの自分は人に疲れて仕事に疲れていた。
でも、どんなときもばあちゃんの料理を食べるとホッと一息つける感覚があって。
とにかく料理上手なばあちゃん。
料理を作るのが早くて、それで美味しくて。
深夜にかえったときにささっと作ってくれた
煮込うどん。
聞いた通りに作っても、どうしてもあの味にはならない。
きっとばあちゃんの愛情なのかな。
とにかく今でもばあちゃんの料理が食べたくなってばあちゃんちにいく。
どうしてかまだあのときの後悔を
ごめん。と言葉にはできないのだけど、
今息子がばあちゃんと楽しく遊んでる。
息子からしたらひぃばあちゃん。
それを見るとなんとなく恩返しできている感覚になる。
今のわたしにできることはこうして息子と一緒に頻繁に会いにくることなのかもしれない。
元気なうちに。
今日も美味しい料理をありがとう。
だいすきなばあちゃん。
どうかどうか長生きしてね。