犬は人間を助ける
多くの動物の中で人間に最も近く、なじみの深い動物に犬がいます。
かつて忠犬ハチ公で知られる話もあります。
秋田犬のハチは1923(大正12)年、大館市生まれ。
当時、日本人の富裕層の間で秋田犬を飼うのが一種のステータスになっていた。渋谷区松濤地区に居を構えていた東京帝国大学農学部の上野英三郎博士もそのひとりであった。ハチは上野家にやってくると、東大へと出勤する上野博士のお供をし、渋谷駅まで送り迎えするのが日課になった。
だが、上野博士が脳溢血で急死。ハチと博士との生活はわずか1年ほどで終わる。ハチは上野家のお抱えであった代々木の植木屋に預けられ、上野家は引っ越してしまう。
なぜ「忠犬」として一躍有名犬になったのか
しかし、ハチは代々木から渋谷駅に通い詰め、主人の姿をくる日もくる日も探し続けた。その様子を不憫に思った日本犬保存会会長が朝日新聞に投書したことがきっかけで、美談になり、「忠犬」として一躍有名犬になったのだ。
ハチ公ブームは熱を帯び、生前に渋谷駅前に銅像ができた。この銅像は戦中の金属供出によって撤去され、現在のハチ公像は戦後に作られた2代目である。
上野博士の死から10年が経過した1935(昭和10)年3月8日未明。ハチは渋谷駅東口で息絶えているところを発見された。享年13歳。遺体は生前、ハチがよくたむろしていた駅の小荷物室に安置された。上野博士の妻、そして植木屋の家族らが続々、駅に駆けつけた。そして末期の水が与えられ、毛並みが整えられるなどの「死化粧」が施された。
さらに、渋谷駅舎を使って人間と同様の葬式が行われることになったのである。地元渋谷の仏教会からは導師(法会・葬儀を主になって行う僧)・伴僧(導師につき従う僧)計16人が呼ばれた。こんな盛大な葬式は、高僧の葬式でもなかなかないことだ。
この犬が特別なのかもしれないが、人間の気持ちに寄り添い助けてくれるのだ。介助犬、捜査犬など挙げられる。
我が家の愛犬の様子に目を細める。ようこそ!わが家へ。
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