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絵は上手いけど、こだわりジジイ?なレオナルド・ダヴィンチ

レオナルド・ダヴィンチとは?

言わずと知れた天才レオナルド・ダ・ヴィンチ
モナ・リザの作者であり、ルネサンス期の巨匠として有名な大画家。

そんなレオナルド・ダヴィンチ調べてみると結構なこだわりジジイであることがわかった。

彼が生きていた時代は15世紀のルネサンス期。1452年にイタリアのヴィンチで生まれ、1519年にフランスで生涯を閉じている。因みに名前は見てわかるようにヴィンチ村のレオナルドという意味である。

ルネサンスの三大巨匠の一人としてラファエロミケランジェロと同じ時代を生きている。
ただし、この2人と違うのが、作品数が非常に少ないこと。なぜかといえば、こだわりが強い頑固ジジイであったからなのである。

有名な「モナリザ」や「最後の晩餐」も完成はしているが、当時では長生きの70歳近くまで生きているにもかかわらず、作品数は15点程度で非常に少ない。

アテナイの学堂で有名なラファエロは37歳で夭折しているが120点程の作品を残しており、ミケランジェロも働かされたことで有名だがラファエロと同じく100点以上の作品を残している。

作品数が少なかったのは注文が少なく、製作にとても時間をかけていたからで、注文数が少なかったのは、わがままで職人気質の性格が影響したためか、依頼されたどおりに描かないことと、なかなか完成しないことがあった。もちろんこの「モナリザ」も納期を守っていない。

モナリザ

まずは超超超有名な代表作「モナリザ」を見ていきたい。

描かれている女性モデルはイタリアフィレンツェの絹を扱っていた商人ラ・ジョコンド=デル・ジョコンドの妻で、「リザ・デル・ジョコンド」であるということが定説となっている。

しかし、前述したとおり、納期を守れなかったことで結局モナリザは売らず自身で持ち運ぶことになった。その後、イタリアのフィレンツェからミラノ、最終的にはフランスなど各地を転々としていった。そのことから現在モナリザはルーブル美術館に所蔵されているのである。

話をモナリザに戻そう。
モナリザの絵画的な特徴、見るポイントは3点ある。

1スフマート法
境目のない表現方法で、輪郭線を作らない表現方法の一つで、日本の絵画の特徴は輪郭線であるが、実際の生身の人間と背景には明確な輪郭線がないことから、何度も指で重ね塗りをしたりを繰り返し、境界線を非常に曖昧なものにしている。

2遠近法
レオナルドは3つの遠近法を使用している。
①線的遠近法
奥から前に進むにつれ大きく描く方法。
②色彩的遠近法
目でみているときは意識していないが、空気の層が光を氾濫することで遠くのものが青く、近くのものが赤く見えていることを色で表現した方法。
③空気遠近法
これは何となく分かるが、手前をはっきり、奥をぼんやりと描く方法。

3三角構図
最後に構図であるが、3/4正面と言われるモナリザの特長で少しだけ斜め横を向いた姿が良いとされている。

描き直しされ続けることでモナリザは当初依頼されていたモデルからかけ離れた人物へと変わっていき、その描き直される、つまり塗り重ねされていることが、この作品の特徴の一つでもあり、この微笑みや何とも言えない表情を表しているのである。

日本画は線で表現する一方、西洋絵画の特徴は古代ギリシャ・ローマの時代から受け継がれる陰影をつけることである。立体的な表現を追求したことで誕生したのが「油彩技法」であり、伸びることも、塗り重ねも、薄くすることも可能な万能型の技法なのである。

色々と癖がある画家ではあったが、絵は抜群に上手く様々な技法を取り入れているレオナルドはやはり天才的な画家なのである。

なお、納期を守らなかったこともあり、他の有名画家はローマ教皇から製作の依頼があったが、レオナルドは依頼がなく、そのことから現在もバチカンに作品は残っていないようだ。

最後の晩餐

次は「最後の晩餐」。

この作品はイタリアのミラノにあるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院にある壁画で、ミラノ公であるルドヴィーコ・スフォルツァ)に依頼され修道院の食堂に描いたもの。

因みにこの最後の晩餐の意味であるが、イエスが反逆罪で磔になることと裏切り者がいることも知っていて、その裏切り者がこの中にいるという場面で、その裏切り者は弟子のユダなのである。加えて「最後の晩餐」では弟子たちに自身の体と血を象徴するパンとワインを分け与えて、キリストの記憶を守るように命じていて、これがキリスト教の聖餐であり現在のミサの起源となっている。

また、ユダヤ教において、過越(すぎこし・ペサハ)とばれるエジプトからのユダヤ人解放を記念した非常に重要な祝祭日があるのだが、この「最後の晩餐」も過越の時期と重なっていて、ユダヤ教の過越の伝統とキリスト教の聖餐の設立という、二つの宗教的要素が交差する瞬間を描いているのである。

そういえば昔の漫画の北斗の拳に「裏切りのユダ」なんていうキャラがいたなと不意に思った。話は逸れるが、アニメや漫画、ゲームにはギリシャ神話や新約聖書などの話が結構盛り込まれていて、子どもの頃は分からなかったが、大人になると再確認できたりして意外に面白かったりする。

因みにこの「最後の晩餐」は1977年~1999年まで22年間かけて修復されたのだが、実はレオナルドが生きている時代から絵の具が剥がれていたのである。
なぜなら、冒頭でも期日までに納品しないことは書いたが、ここでもこだわりジジイを発動してしまったことが原因である。

当時の壁に描く技法の定番といえばフレスコ技法。これは生乾きの漆喰の上に水溶の顔料で描く技法で、三大巨匠のラファエロのアテナイの学堂やミケランジェロの最後の審判も同様の技法を使用していた。
しかしレオナルドはモナリザで見せた塗り重ねのスフマートがフレスコ画では発揮できないため、天ぷらの語源にもなっている顔料を卵と混ぜ合わせて描くテンペラ技法で描いてしまった。漆喰に直で描かずに重ね塗りしたことで剥がれやすい状態になり、さらに食堂であったため湯気等の水分の影響でカビが発生し、絵の具が剥がれてボロボロになってしまい、修復に22年もの歳月がかかることになってしまった。

この描き方問題でいうと他にもあるようで、フィレンツェのヴェッキオ宮殿のフィレンツェがミラノとの戦いで勝利した「アンギアーリの戦い」に関してもこだわりジジイ振りを発揮している。
ヴェッキオ宮殿の500人広間の2つの壁に、最後の晩餐よりも大きい壁画を描いて欲しいとの
依頼があったが、ここでもフレスコはやりたくなく、エンカウスティック技法と呼ばれる水や卵ではなく蝋で溶かした顔料で描く技法を採用したことで 壁に塗った蝋が溶け出してしまい、途中で放棄し最後まで仕上げることができなかった

結局描き上げきらずに、最終的にはヴェッキオ宮殿には飾られなかったが、昔アニメであったフランダースの犬の中で主人公が憧れていた「ルーベンス」が描き上げている。

このヴェッキオ宮殿には2つの壁があり、実はもう1つの壁にはミケランジェロが「カッシーナの戦い」を描く予定であったが、描いている途中で当時のローマ教皇のユリウス2世から墓の製作を依頼され、下絵のみで終わっている。
そんなこともあり、結局ヴェッキオ宮殿の壁画はミケランジェロの弟子ジョルジョ・ヴァザーリが仕上げることになったのだが、もし二人の作品が描かれていたとすれば歴史的にも凄い豪華絢爛な観光スポットとなっていたかもしれない。

なお、未完の天才であったためか、当時のフィレンツェの当時の最高権力者ロレンツォ・メディチや枢機卿から嫌われてしまったことで、数多くの有名画家の壁画があるシスティーナ礼拝堂へ装飾画家として派遣されることはなかった。

他の分野にも興味津々

最後に、レオナルドは科学、医学にも通じていていることが万能の天才と呼ばれる所以であるが、絵画以外にも興味津々であったようである。これは膨大な手書きのメモである手稿を4,000枚近く残していることからわかるのだが、ただし実現可能であったかどうかは微妙なものも多く、メモでも絵が上手かったことで、そう呼ばれる要因であったのかもしれない。

さらに、なぜこれほど様々なものに手を出したのかと言えば、前述したとおりこだわりジジイであったことから、仕事の依頼が少なく、仕事をゲットするためだとも言える。その証拠にミラノ公に自ら推薦状を書き、芸術家として絵を描くことが上手いことだけでなく、軍事技術者として能力もアピールしている。

この推薦状が功を奏したのかミラノ公からは騎馬像の製作も依頼され、戦争によって失われて未完に終わってしまっているが、もし完成して現存していれば「モナリザ」と並ぶ作品の一つになっていたのかもしれない。

軍事技術の発明は今ひとつであったようだが、飛行機と時計については真剣に考えていたようで、手稿にも記述がある。
特に「振り子時計」に注力していて、最終的にはオランダの数学者のホイヘンスが振り子時計を完成させるのだが、その原型的なモデルを発明している。

絵画以外にも医学、軍事技術、時計、飛行機に至るまで様々なものに興味を持ち、それと同時にこだわりジジイという強烈な個性を持ち合わせていたレオナルド・ダヴィンチ。調べれば調べるほど面白い。

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