みんな大好き、忘れ去られたフェルメール?
フェルメールとは?
またまた素人美術シリーズ。
前回のピカソに続いて今回はフェルメール。
そういえば子どもの頃から日常で割とよく目にするフェルメール。
そもそもフェルメールって?ということでフェルメールについて少し調べてみた。
世界初の株式会社で知られる東インド会社が設立された17世紀のオランダ。
当時はネーデルランド共和国でオランダの黄金時代。
フェルメールは国宝の「夜警」で有名な巨匠レンブラントが生きていたのと同時代の1632年に生まれ、1675年に42歳で亡くなっている。
その頃のオランダは前述したとおり黄金時代で、株式会社の設立があったり郵便制度が生まれたりイケイケの時代であった。
絵画に目を向けるとこれまでの宗教画から一般の庶民を描いた風俗画が人気となっていた。
そんな中で出てきた画家がフェルメールやレンブラントなのである。
フェルメールは元々歴史画を描いていたが、このような時代背景もあり風俗画を描く画家にっていく。
現存する作品は30点前後とされていて有名な絵としては「窓辺で手紙を読む女」、「真珠の耳飾りの少女」、「牛乳を注ぐ女」などがある。
窓辺で手紙を読む女
まず1点目は「窓辺で手紙を読む女」
ドレスデン国立古典絵画館が所蔵していて、日本でのフェルメールブームのきっかけとなった作品とも言われていている。
個人的には2022年に東京都美術館で開催されていた「フェルメールと17世紀オランダ絵画展」でも展示されていて、美術に興味を持ち始めてから初めて美術館に足を運んで直接鑑賞した思い出の作品である。
実はレンブラント自身が生きていた時代はそれほど人気があったわけではなく同時代の風俗画家であった「ピーテル・デ・ホーホ」の方が人気でフェルメールはピーテル・デ・ホーホに影響を受けていたほどである。
そして時代を経て再発見されたことでブームが訪れることとなる。
死後200年近く行方不明になっていたと作品と同時にフェルメールも忘れ去られた存在になっていたが、フランス革命で各国を転々としていたフランスの美術評論家「テオフィル・トレ・ビュルガー」が1866年に再発見し、同年に収集した作品で展覧会を開催し以後再評価されていく。
元々は1742年にザクセン公国のアウグスト3世がレンブラントの作品だと勘違いして購入し、以後ドイツのドレスデンに置かれていた。その後、第二次世界大戦のドレスデン爆撃を回避し、ソ連の強奪にあったが無事に返却され、現在はアルテ・マイスター絵画館に所蔵されている。
「窓辺で手紙を読む女」は郵便制度ができたことによる手紙ブームを象徴する作品でもあるが、実は当初壁面にはキューピットがない状態であったが、近年は画家が描いた元の姿に戻すことがよしとされている傾向があり、現在は修復されてキューピットが復活している。
真珠の耳飾りの少女
次に2点目の「真珠の耳飾りの少女」
「北のモナリザ」とも呼ばれ、現在はマウリッツハイス美術館の看板作品になっているが、以前は「青いターバンの少女」というタイトルであった。
描かれたのは1665年頃でパトロンであったピーテル・ファン・ライフェンが購入し保有していたが、その後アムステルダムのオークションでライフェンの娘婿であるヤコブ・ディシウスの遺品としてフェルメール作品が出品されており、その中の1つがこの「真珠の耳飾りの少女」なのである。出品された作品の3点が、トロニーと呼ばれる工房で弟子が描くためのサンプル作品で、不特定の人物の胸から上を描いたものであった。
その後、時が経ち1881年ハーグのオーディションに出品され、当初は汚れていてよくわからない作品であったが美術コレクターのデ・トンブが友人に勧められ現在の貨幣価値1万円程度で購入した。汚れを落とすためにマウリッツハイス美術館に修復を依頼したところ、何とフェルメールのサインが出てきたのである。実は作品をよく見ると背景は黒いがよく見ると右上にサインがされていている。
そして1902年にデ・トンプが亡くなり、マウリッツハイス美術館に遺贈され現在に至るわけである。
さらに時代が経過し、元の絵は違うと言われていたこともあり、1994年から1996年に2年かけて修復が行われた。その結果、唇には光の反射を白い点で表現したポワンティエが浮かび上がり、そして背景は実は黒色ではなかったという衝撃の事実が判明したのである。
色は黒の上から緑を塗り深緑になっていて、黒はボーンブラックで骨を砕いた絵の具、緑はインディゴの藍とキバナモクセイソウという花から取った黄色を混ぜたものを併せて使用していたが、どちらも植物性であったため緑が退色して消えてしまったことで、黒色だけが残ったようである。
またこの作品はモデルが誰かということで現在も論争されていてそのようなところも作品の一つの魅力とも言える。
現在、モデルはいない説が主流であるが、フェルメールの娘、女中、パトロンの娘などモデルがいた説もある。2018年にマウリッツハイス美術館が公開科学調査を実施して再度精査しているが、まだ確実な証拠は出てきていない。
日本でのフェルメール人気
最後に日本での「フェルメール人気」について
1974年に初めて「窓辺で手紙を読む少女」が日本に来日しているが、その後20年近く経過した1996年にドイツで大フェルメール展開催されたことで、世界的にフェルメールブームが到来している。
日本では2000年に「フェルメールとその時代」展が大阪市美術館、2008年に東京都美術館で開催で開催され、50万人程度であった来館者も約100万人となり一気に倍増している。
なぜ日本で人気が出たのか?
まずは宗教画でなく風俗画であること。カメラオブスクラを使用したポワンティエだと言われている。日本にも宗教はあるが西洋画の最も日本人には分からない宗教という概念の理解が少なくても何となく作品の良さを捉えられ、ポワンティエのピントの甘さと輝きを白い点を使うことで柔らかさを上手く表現していてる。
それから絵画のサイズ感。初めてフェルメール作品を見たときもこんなに小さいの?と驚いたが大きさは意外に小さい。
絵の構図も尾形光琳の「紅白梅図屏風」のような日本画の特徴である余白も多く、このことも日本人にマッチしている。
そんなこんなで日本でフェルメールの人気が出てきた訳だが、調べてみるとそれほど前から人気があったわけではない。
今では様々なところでフェルメールの作品が使われ、日常に溶け込むことで、もはや生活の一部になっているような気もするが、実はフェルメールについては何も知らなかった。
そしてモデル論争があったり、まだまだフェルメールについては分からないこともあったり、謎の多い男なのである。だからこそ惹かれるフェルメール。
実際知らなくても生活に困ることはないが、こうして思いを巡らせて見る絵画は本当に面白いし、人生を豊かにしてくれる。
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