ぱぴこ

WEB系のフリーランスで食べています。 国際結婚し、現在配偶者ビザの申請中。並行して不妊治療(体外受精)も行なっています。 我が家はステップファミリーです。

ぱぴこ

WEB系のフリーランスで食べています。 国際結婚し、現在配偶者ビザの申請中。並行して不妊治療(体外受精)も行なっています。 我が家はステップファミリーです。

最近の記事

母が私のために泣いた日。

私は母を泣かせたことが何度かある。 まず、思春期の頃。 私の反抗期はとても長く、母には苦労をかけまくっていたと思う。 朝帰りはするし、学校には行かないし、挙句の果てには家出もした。 私の生活態度について言い合いになるなんてしょっちゅうだったが、その日は少し違った。 具体的に何について揉めていたのかは忘れてしまったが、私が「お前なんて母親じゃない」と言い放った時。 それまで言葉に勢いのあった母がハッと黙り、表情からは怒りが消え、見開いた目からポロリと涙が落ちた。 私は何も言え

    • 不妊治療と配偶者ビザ申請(ワクチン接種)

      前提をざっくり。 夫はアメリカ人で元軍人、現在は軍属(基地内でGSとして働いています)でSOFAライセンスで入国しているため、在留カードは持っていません。 夫の日本滞在可能期間があと2年半ほどなので、アメリカ帰国へ向けて私の配偶者ビザの申請をしています。申請開始から1年経ちましたが、まだ書類審査中で健康診断の指示が出ていません。 並行して不妊治療を始めたため、ネックになるのがワクチン接種。 妊娠中でも接種可能なインフルエンザ・コロナワクチンについては、健康診断を受ける日の1

      • 覚めない麻酔でハイになる(稽留流産手術後)

        ※稽留流産手術後の記録です。手術に関する詳細は書きませんが、流産に対する心境など書きますので辛くなる方は読まないでね。 ちなみに麻酔が覚めるまでの話は全て夫から聞いた話で、私は記憶がありません。 夫によると、私は手術室からは30分程度で出てきたらしい。 手術が始まったらお昼ご飯を食べに行ってね、迎えに来るまで一度家に帰ってもいいよと伝えていたが、 夫は私の手術が終わるまでずっとベッドのそばで待っていてくれた。私が麻酔で眠りに落ちたままベッドへ運ばれてくるのを確認してからよ

        • 稽留流産手術当日と心の準備、手術台の上での事。

          ※当日の流れや事前処理、手術台に上がってから麻酔で落ちるまでの記録です。痛みの程度や、手術開始を待っている間の気持ちを綴るので辛くなる方は読まないでね。 稽留流産の診断が出た翌日の摘出手術が決まり、前日の夜からは絶食。まだつわりが続いている私にとって、この絶食はかなり辛かった。 何か食べても結局吐くのだけど、何も食べずに胃液を吐くのと、食べたものを吐くのは辛さが全く違う。 空っぽの胃袋から胃液だけを吐く時、胃が真空パックみたいになった感覚になるのだ。 「もう何も出せませんか

          妊娠発覚からつわり、そして妊娠を終えるまで(流産の記録)

          しばらく更新しない間に、離婚後に出会った方と再婚し、1年間の不妊治療の末に体外受精にて妊娠した。 (新夫との出会いについてはそのうち書きます) 判定日に陽性が出て夫婦で喜んだのも束の間、 つわりが始まり、長女の時と同様にそれはどんどんと酷くなり、あっと言う間に「何も食べれない、何も飲めない」の状態になった。 長女の時と違うのは、それにプラスして嗅覚が異常に敏感になり「この世の全ての匂いが無理」になった。 夫からも娘からも、知らないおじさんの脇のような匂い(比喩)がして、誰に

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          信頼ってなんだろう(二郎系な夫)

          私は夫と別居している。 夫の帰らない家で娘と2人で生活するようになり 娘が眠った後少し泣いたりもするが、基本的には波のない穏やかな日常を過ごしている、と思う。 勤務時間が不規則で、娘を寝かしつけている途中にガチャガチャと音を立てて帰ってくる人はいないし、部屋を散らかすのは娘だけ。 何度言っても不快な咀嚼音を立てる夫の椅子は、「ちゃんと戻して!」なんて言われる事なくダイニングテーブルに綺麗に収まっている。 私と夫の関係は完全に崩れ、 私は毎日毎日、クローゼットやタンスの中

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