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<マイ・チョイス―わたしがした、自分らしく生きるための選択>

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映画『パピチャ 未来へのランウェイ』をきっかけに、「自分らしく生きるための選択」をテーマに素敵な方々から寄稿を頂きましたのでまとめました。
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#アルジェリア

明日の私自身は勇気を意識することができるだろうか

久しぶりに、多角的に刺激溢れる映画を見た。 エゴの強い社会のルールや、性差が作る偏見や抑圧に反発するということはとてもストレスフルなことであるが、それに彼女達らしいアプローチで立ち向かっている姿が勇敢で…、(その勇敢であるという言葉に落とし込めないくらいの力強さだ!)きっとその態度でしかいられなかったのだ。彼女達をアクティブに奮い立たせるのは決して怒りだけではなく、「ハイクを使ったファッションショー」というアイデアやクリエイティビティもそうさせる。一貫した姿勢と強靭さを作る

このイカれてふざけた世界で闘うために

 「イカれてる」  映画が始まってすぐ、 “女の正しい服装”のポスターを目にしたネジュマがつぶやく。女に身体的な自由を与えず家に閉じ込め、父や兄や夫に従わせ、女の口を塞ぐため、男たちがヒジャブを着けろと女性たちに強いる。ヒジャブを着けず“正しい服装”をしていない女は、どんな目に遭っても仕方がないとみなされる。女の夜の外出は咎められ、ネジュマの親友は大学寮暮らしがバレただけで「尻軽だ」と恋人であったはずの男から殴られる。1990年代のアルジェリアは確かにイカれてる。  でも

私たちには屈しない強さがあるのだから

主人公のネジュマの真っ直ぐな視線に何度も心を揺さぶられた。彼女たちがサッカーを雨の中する楽しそうな姿をみて涙が溢れた。生きてきた環境も場所も違うはずなのにどこか、自分の記憶や感情とリンクして、声を上げて泣いている自分がいた。彼女たちは、ただただ自分らしく、生きたいだけ。 映画から溢れ出す底なしのエネルギーはネジュマ役を演じたリナ・クードリ氏や、監督ムニア・メドゥール氏の「パピチャ」としての思いが滲み出ているのだろう。 パピチャはアルジェリアのスラングで面白くて、魅力的な、そ

誰も戦いたくなどない、でも、生きるために、必要な戦いがある。

 大学生のとき、大好きだった友人がいました。彼女は卒業後、24才で死を選びました。  理由はまったく分かりません。大学時代の彼女は誰よりも頭が切れ、ユーモア含んだ鋭利な言葉を紡ぐ人で、私は彼女を心から尊敬し、追いかけるように彼女に並びたいと思い、そして幾晩も幾晩も夜通し語り会うような濃密な時間を過ごしました。  プライドの高い人でした。学業でも何においても一番でいなければいけないという強いプレッシャーを生きている人で、今にして思えば、私のように“ちゃんとしてない”女が珍しかっ

私たちがまだ使っていない「選択肢に気づく映画」

 お洒落が好きな女子大生の日常と緊張感あふれるシーンを対比する。1990年代のアルジェリアを描いた映画「パピチャ」は、冒頭の数分で見る人を引きずり込む。2人の女子大生が夜、寮を抜け出して遊びに行く。タクシーの中でパーティーに合うドレスに着替え、化粧をする。 世界中のどの国でも起きていそうな、ごく当たり前の若い女の子の日常は、検問のシーンで一転、非日常になる。車内の2人はベールを被り、色鮮やかな服と化粧した顔を隠す。銃をかついだ男性に夜間外出の理由を問われると嘘でかわす。