名前の話
noteでは弓という名前でやらせて頂くことにしたのですが、弓は名字的なもので、実は文香という下の名前もあるのです。これは大学時代に文学ゼミの教授が私につけてくれた名前です。
文学ゼミでは各々作品を作って皆で読んで感想を言い合うというようなことをしていました。最初の頃に紙で手が切れるということを書きたいがためにメンヘラな女の子とその恋人が全ての刃物を捨て息を殺して暮らしているというような作り話を書いたことがあったのですが、同級生からロマンチックで少女漫画みたいと言われたことが何故かとても恥ずかしくてそれ以降私はまさしくnoteのような、日常感じたことをつらつら書いた散文を毎回提出していました。私が大学3年のとき、丁度教授が退官の年だったこともあり、ゼミ生の作品を一冊の本にしようということになりました。装丁は君がやりなさいという教授の一言で、装丁画も描くことになりました。
私は美術大学で絵画を勉強していました。その所為か元々の性質か、非常に内省的で自分がどういう時にどう思ったのかということをひたすら考えていました。提出する文章もあまりに個人的なことばかりが書かれていたので、本となって保管されるということがわかった時、自分の本名が残るのは恥ずかしいというか、いつ誰に見られるかわからないということに恐怖を感じ、教授に名前をもらうことにしたのです。当時は今よりもっと神経質で、許せないことがたくさんあった私の張り詰めた感じを教授は弓という美しい一文字で表してくださいました。教授は私にとてもとても薄い、握れば割れてしまいそうなグラスをくださったことがあり、教授の中で私はきっとそんな印象だったのだろうなと思います。そのグラスは教授の元奥さんの亡くなった旦那さんが残した骨董品の一部だと言っていました。私はこの名前もこのグラスもとても気に入っています。
教授は70歳でした。今は75歳になるのかな。幼い頃から学校という場所がとにかく苦手だったので(何故大学に行ったのか、、)あまり先生というものにいい思い出は無いのですが、文学ゼミの教授だけは、今でも会いたいな、お元気でいらっしゃるのかなとよく思います。卒業して1年くらいは返事が来ていたメールアドレスに連絡しても、今は返事が来ません。有名な方でしたのでもしものことがあれば耳に入るだろうと、きっとどこかでお元気でやっていらっしゃるのだろうと思っています。時々大学時代の友人から教授を見た、という話を聞きますけれど、駅のホームで外国人女性と熱烈な抱擁を交わしていたとか、教授らしいエピソードで胸の奥が熱くなるのでした。真偽は定かではありません。私も街で教授を見かけたい。
本が出来た時の記念パーティで教授が私のページにくださった笑顔は財産デス、という一言、忘れません。
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