お米が好きという人の話
こっそり毎日更新を目指しているのですが仕事が忙しかったりするとなかなか難しいですね。こんばんは弓です。
先日上司に自分の哲学的な部分、noteに書いているようなことを話しまくる機会がありました(要するに酔っ払ってた)。そもそもの発端はピーター・ティールが面接で「他の人は賛同しないがあなただけが信じている真実はあるか」という質問をする、という話から始まりました。弓は何年も同じことについて考えたりするので、考えたものに関しては揺るがないものが割とあるのですがその中で更に他人に賛同されないものとしてサッと思い浮かんだものがこれです。
お米を好きと言う人危険説
これです。弓はこの説に絶対の自信を持っているのですが誰に話しても「??」となります。この話をする時の弓の勢いに引いてるだけかもしれないですが。
危険というのはちょっとオーバーなんですけれど。要するにぶりっ子してる、みたいなことです。ただぶりっ子する人自体は弓は結構好きなのでぶりっ子はだめ!という話ではありません。何かの目的のために自分を演出出来る人というのは、能力が高い人だと思っているので。ただしお米が好きという人に関しては気をつけたほうがいいです。
シチュエーションとして、①好きな食べ物何?と聞かれるパターン②誰も聞いていないのに食事の席などで自発的に発言するパターンという2パターンがあります。①に関して、大体の人間はお米が好きにも関わらず敢えてそこに行く意味。お米が好きでしょうがなくて米利きしたら全ての品種を当てられるくらいの突出した能力があるのであればお米が好きだと言われても納得出来ますが、毎日米食べてますくらいの人間が敢えて好きな食べ物は?という質問に「米」と答える理由は何?ということです。②に関して、聞いてもいないのにお米が好きというパターン、こちらも例えば普段の食事に出ないようなもの且つ自分の好物が出てきた時に「あーっ、私好きなんです」というような場合はごく自然な流れと言えます。しかし米は世に溢れている。溢れすぎている。日本に於いて米がレアなタイミングは皆無と言って良い。つまり、彼・彼女らはお米が好きということを表明したいわけではなく、お米を好きと発言することで発生するメリットを享受するために発言するのです。
私が考えるお米が好きと発言することで発生する最大のメリット、それは「なんかいい子そう」という印象を持たれる、ということです。ものすごく絶妙なんですよ。これがおばあちゃんが大好きとかだったら、ちょっとあざとさがありますよね。でも、米。そこには所謂わかりやすいぶりっ子は無いのに、親しみやすさがあって食べることが大好きで親に大切にされてすくすく育ったのだろうな〜、明るくて素直で天真爛漫な感じがするな〜、と、聞き手に違和感を感じさせることなく印象操作をしているのです。さらに、同性に対しては食いしん坊=色気のない奴、つまり恋愛に於いて自分の敵になる存在ではないという気持ちを持たせることが出来ます。そんな人間は異性にとっても「この人とどうこうなることはないだろう」と、肩の力を抜いて接することが出来る存在となります。抜け感を出すことによって、一朝一夕には獲得が難しい「安心感」すらも一瞬にして手に入れているんですね。さらにさらに、お米が好きという言葉はなんと、あざといとされた「おばあちゃんが大好き」要素すらも内包しています。「こんないい子はおばあちゃんも好きだろう」と、聞き手が勝手に想像を巡らせるのです。お米が好きというたった一言で、個人の妄想すらも操作しているのです。
どうですか皆さん、恐ろしい言葉だと思いませんか、お米が好き。私はお米が好きと発言した人間のことは切れ者であると同時に非常に狡猾な可能性があるとして、警戒するようにしています。あなたが毎日お米を食べるなら、「お米が好き」と言ってみてください。普段どんな悪行を繰り返していても「おばあちゃん子ないい人でこの人と居ると安心するな」と思ってもらえると思います。それは嘘ですが悪人なら悪人なほど意外な一面としてプラスの印象になることでしょう!
こんなメリット盛りだくさんの一言「お米が好き」という言葉ですが弓は決して使いません。なぜならパン派だからです。(米の写真が全く無かったので米っぽい玉砂利の写真にしました。)
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