空想「ぴょんぽん堂」小説にならなかった種たち。
先日投稿した空想「ぴょんぽん堂」ですが、種明かしをしてしまったので、この先、あのネタを使うことはないだろうと思うので。
どのように小説にしたかったのかというのを公開します。
まず「ぴょんぽん堂」のアイデアはすぐ出来上がりました。
しかし、企画書をどう小説にすればいいのかがとん挫してしまいました。
まずあの企画書を3視点に分類して描き出そうとしました。
「ホンノイノチ編」「シオリ編」「メタバース編」です。
タイトルは最初「ブックサバイバル」でした。
まず「シオリ編の梗概」が出来ました。
次のようなものです。
「シオリ編の梗概」
シオリは、小さな頃から大人に嫌われるきらいがあった。ちょっと人を小ばかにしてるように思われて、兎角大人には好かれなかった。生意気そう。そうだ、大人など自分より能力があるとなどとは思いもしないようだった。それは、同級生でも同じだった。シオリの思考のことなど誰も認めなかった。人からは距離を取られた。親もシオリの考えてることは理解できずに、自分の価値観を踏襲することを望んだ。周りの世界との隔たりに疑問を持ちながら過ごした。シオリを生意気という大人は、シオリの学校での孤独のことなど知る由もない。なぜなら、シオリはそのことについて自分の名誉のためか話したりは決してしなかった。そんなシオリの狭い世界の中で、創造的な思考をしたのは、たった一人だった。
「お前も好きか?」
シオリが好きで読んでる本を見て、きんちゃんは言った。
きんちゃんは、お父さんの弟で、前に本を出したことのある売れない作家だった。シオリは、地方の狭い世界の進学校に通ったが、なぜか疲弊していたときだった。
狭い世界の中で、シオリの考えてることに反応してくれたのは、後にも先にもきんちゃんだけだった。
なんとか夜間大学に進んだシオリは、入学式に向かうときに、
「かわいい子いるかな?」
と前を友達と歩いてる男子同級生の言葉でこう思った。
「お嫁さん見本市には参加したくない」
大学でフェミニズムの授業を聞いて思っていた。
「男か、女か、では分けられない。優しい人は男の中にもいるし、嫌なやつは女の中にもいる。そんな悪いやつ採集みたいな学問は、おもしろくない」
シオリは、全方向に敵意むき出しだった。
そんなやつが面接官と仲良くなれるはずもなく、アイデアだけが、内面へ内面へと向かっていった。
夜間大学だから、シオリは、バイトをした。焼肉屋さんは一週間でくびになった。接客が無理だった。テレビ局、新聞社とバイトをした。
少ない友達のマサオとは、大学で出会った。マサオは、とにかく文学部にいるのに、機械系が強かった。そういう人もいるわけだ。マサオも変わり者で、シオリと仲良くなるぐらいだから当然かもしれない。気が合った。
シオリは、ずっと本のことが好きだったか。なぜかって、すぐ今いるところからはみ出しちゃうからだった。知識を得ることのできる興奮の世界がそこにはあった。
大学卒業の就職活動は、出版社をいろいろ受けた。
「女の二浪は使えない」
「夜学出てるやつは、そこで落とされる」
まことしやかにささやかれるうわさたち。文章力はあるらしく、一次試験は突破するものの、正直でうそのないシオリは、出版社に行って、
「表紙がださい」
と言って、速攻落とされた。きんちゃんのコネはないに等しかった。何より人の力を借りずに、自分の力で就職ぐらいしたかったのだ。
結局、競争力の高い出版社はどこも受からず、見つけた仕事は、書店員だった。
ただもくもくと仕事をこなす毎日だった。
大学入学した年に、きんちゃんは本を出版した。それが「ホンノイノチ」という本だった。この本を売りたいと思った。きんちゃんは、心筋梗塞で死んでしまったから。過重労働が、いけなかったのか。原因は誰にも分らなかったが、唯一わかるのは、きんちゃんはこの世にはいないということだった。
みんなこの本の魅力に気づいてないみたいだけど、きんちゃんの遺作はとてもいい本だった。最初はちょっと死んだことがざわっとなって、売れたが、バイト先に一冊だけ売れ残っていた。
店長に嫌なことを言われて、気持ちが沈むと「ホンノイノチ」を開いて、勝手に休憩した。
もっとアピール上手な子だったら、バイトから社員になったりするんだろうけども。今は出版不況。
そんなときに、ある古本屋さんのお爺さんに出会う。その店の自分の好きな海外文学の本をレジに持っていくと、
「なかなかの目のつけどころやな」
と言われた。
「えっ?」
「わしのところで働かないか?」
と突然誘われた。そのお爺さんは言った。
「わしも年じゃ、そろそろ後継者を作らないと思っておったんじゃが」
「私ですか?」
「そうだ。パワーがありそうじゃ。それにその本にわしは縁があるんじゃよ」
と言った。シオリは少し考えて、
「一か月考えさせてもらえませんか?」
「もちろんじゃ。わしが生きてるうちにな」
シオリは、一か月後、そのお店にいた。バイト先に一冊残っていた「ホンノイノチ」と共に。
そこでお爺さんに、商売のノウハウを教わる。
「本にはな、目利きというのがある。それは好みの問題じゃが、本を読むというだけで偉くなったようなやつにはわからない。大事なことをちゃんと学び取ろうとしている選び方というのがあるのじゃよ。そりゃ人気作を仕入れるのも大事だ。だけど、わしの考えでは、これだけの本が出版される世の中で、手に取られるセカンドチャンスが古本屋にはあると思っておる。つまりわしは、本を扱うという誇りがあるじゃよ。あんたは、本をとても大事に扱い、そして、見ている限り、俺の好みの本ばかりを手に取っておったのじゃよ。そういうのは嬉しいものじゃ」
それからもお爺さんは、本の仕入れの方法などいろいろ熱心に教えてくれた。
でもある日、お爺さんは言った。
「本当に申し訳ない。仕事まで辞めさせたのに、息子がこの店を売るというのじゃよ」
「そうですか」
悲しくはなかった。ただ私は無職になった。どうやってこれから食べていこうか。先は見えなかった。また新刊書店に戻っても、満足感は得られないだろう。古本屋での仕事には魅力も感じていた。
「大学出してあげたのに」
と嫌味を言われながら、シオリは実家に戻った。一人暮らしには何かとお金がかかる。そこで新しい事業を思いついたことの準備をしようとしていた。
変わり者のマサオにだけ話したら、
「なんかおもしろそうかも」
と言われて、調子に乗った。マサオは、先見性があって、魅力のないものには賛同したりはしないから、さらなるアイデアへの自信になった。
シオリの考えたのは、メタバースの活用法だった。
「だって本が一冊も家に置いてない家なんてないんだもの」
それだけ本は身近なものだ。
シオリは、自分の「ブックサバイバル」の企画書を書いた。それで、頭の中でいろいろと考えた。考えすぎて、眠れなくなったりした。
マサオに持っていくと、おもしろそうだからと協力してくれるようになった。
「まずは取次よ」
だけど、そんなどこの馬の骨かわからないやつの話を真面目に聞いてくれるやつはいなかった。
シオリの長所は、ダメだと言われると、やる気の出るところだった。
「何か方法はあるはずよ」
そう言って、方法を考えて、思いついたのは、自分の考えてることを小説に書いて、賞を取るということだった。
シオリは、小説を書き始める。なかなかうまくいかない。しかし、一年をかけてなんとかその作品を書き上げた。マサオは言った。
「よく書けてる」
しばらくすると、賞は落ちた。
すると、出版社が、シオリの作品ととても似ているガイドブックを発売し、ゲーム会社と組み、ソフトを発売した。
シオリは、落ち込むが、そのソフトの欠陥に気づく。
だけど、あきらめきれないシオリは、なんとかアルバイトとして、そのソフト開発している会社にバイトとして入り込む。
そこで、ある男と会う。名は、野上と言った。シオリは、野上の魅力に取りつかれていく。今まで恋愛経験のないシオリは、野上に今までの経緯を話す。
すると、野上は出版社に話をつけて、シオリをゲーム開発会社への就職をあっせんしてくれる。
そこでは、ガラスの天井を経験するシオリ、せっかくシオリがいいアイデアを考えても、自分の手柄にする上司に疲れてしまうシオリだった。
そんなシオリを野上は支えてくれているかように思えた。
しかし、野上は、ゲーム会社から多額の報酬をもらっていた。そのお金は、シオリの原稿やアイデアを裏で売っていたのだった。
それにシオリは、なぜか野上の妻から不倫で訴えられる。
誰も信じられなくなったシオリが最後に頼ったのは、マサオだった。野上に心酔して、変わっていくシオリを苦々しく思ってたのだった。
マサオは言った。
「シオリだって恋愛するんだな」
「そりゃそうよ」
そして、一冊の本を手渡す。「ホンノイノチ」だった。
シオリは、「ホンノイノチ」を再び開き、小説家に専念することを決めたのだ。
(ここまでが、シオリ編で描こうとしたことでした)
次に、実際に作品を細かく描写していこうとするのに、何か印象が弱いなと思って、タイトルを「なめんなよ」に変えようとしました。
そこから「ぴょんぽん堂」のコンセプトがずれ始め、
どこから手をつけていいのかわからなくなっていきました。
それでもなんとか第2稿までいきました。
「なめんなよ」(第2稿)
(これは、設定を少し未来にして、シオリの視点を通して、ぴょんぽん堂の企画書にどうつなげるかを書いた痕跡です)
ざらざらした心と対面す。言葉にするなら、「なめんなよ」が割とぴったりくる。今日も溢れる怒りをなんとか鎮めて、平気な顔をして生きてる。あたしは、声は大きいけど、ほんとは、静かが好き。誰もいない教室、空いている自習室、時々くしゃみの聞こえる図書館。愛しい場所に、ほんとは怒りの言葉はいらない。本を開き、静けさの中で、ただ内なる言葉と隙間なく、ぺったんとくっつくのが好き。なのに、体中に響く「なめんなよ」は、あたしの涙代わりの言葉。人もそう、言葉で埋め尽くす人より、相手の言葉を待っているぐらいの人が好き。だけどさ、生きていくってさ、「なめんなよ」って思うことの方が断然多い。
今日もあたしは、人にうざがられている。
親に、上司に、同僚に、好きなひとに。もうほんとのあたしを知って、なめんなよ。時に反骨心で前に進む。そこには、雪国もびっくりの冷たさの目線がある。あたしも、あなたも。今日もなんとか明日を待つ。冷たい目で、人を見る。そんなとき、怒りより、静かに他人をただ蔑む。
シオリが何を言われても、笑って、なめんなよって思いながら、あほなふりをするのは、自分の人生が最後に笑ったもん勝ちだと思っているから。
心の中で、「なめんなよ」って啖呵を切ってさ。よっこいしょってまた立ち上がる。いつだって復讐するのは、心の中でひそやかに。だってけんかを始めたら、終わらせるのが大変だから。謝って、笑ってやり過ごせるなら、その方がいいから。後腐れないから。
その場所がシオリにとって必要のないものになったら、バイバーイって手を振って、またイチから始めればいいから。
いつもそうやって生きてきた。でも、寂しいんだよね。きれいに思い出も忘れたふりの更地ができるだけだからさ。
何も言わないからって、許してると思うなよ。なめんなよ。
きっとうざがられているってことは、そんなことも本当は気づかれているのかもしれない。それでもどうしようもないけど。
でも、ひどい失言を言った人にはそれが世界の正解で、誰も正すこともなく、その世界が大正解って顔をしてて、そういうものに苦しめられてきたから、当然って顔してる人と深く関わりを持とうとしない。
きっとそういうかわいそう人に、誰も何も言えなくて、失言したときには、その人の人生の中には誰も味方がいないんだろうな。一緒に喜び合うような人がいないってことに、気づくんだろうな。スクルージみたいにさ。死ぬまで気づかなくてさ。まっ、気づかないまま死ねるならいいのかもしれないけどさ。
あなたもあたしもそう大差ない。互いに心の中でなめんなよって思い合ってる。
好きなものぐらいせっかく生きてるからには、思う存分楽しみたい。だが、金はない。そんなときどうすればいいか。仕事しろと言うだろう。なかなか仕事が見つからないとしたら。それでも本は読みたい。
専門書になるほど高い。最近は、翻訳本もなかなかいいお値段になってる。
それにみんな電子書籍で本を読むようになった。だって今や紙の本は、大抵が受注販売になってるから。予約せずには買えなくなってる。電子書籍でヒットしたものは、文庫として売られるぐらい。雑誌は、おまけつきじゃないと売れないらしい。
書店も取次を通じて、今までのように取次から提示される書物を注文するのではなく、書店の好みに合わせて、必要な本しか手に入れられないほど、紙の本の値段は高くなっていた。
本屋さんで好きな本を自由に選べるのは、都会の人に限られていた。それも少し郊外の都心にしか大型書店は残っていない。
本屋さんの間口が広いところが好きだった。すっと時間をつぶせるような、おしゃれしないといけない場所じゃなくて、ふらっと散歩のついでに寄れるような、そんな場所としての本屋が必要だったのに。どうだ?
出版社は、本を売れるか、どうかにしか興味がないような。誰のために売るのか。買う側からしたら、そんな高尚なものを本に求めるようになったら、おしまいじゃないか。
誰かが選んだ本を読んでるだけでいいのか。それじゃ、学校の読書感想文と同じじゃないか。ふらっと入って、へぇーこんな本があるんだ。おもしろそう。それですぐに持って帰って、開くとそこに文字がある。そんな簡単なもっとも身近な趣味じゃなかったか?そこにはスイッチもなにもない。ダウンロードもない。何も教わらなくても、読めるものじゃなかったか。
根本から今の本好きとも意見が合わない。感動があるから。何か学べるから。そんなことのために、本を読んでるのか。
あたし、もっと本が好き。つまらない本でも好き。活字が好きだから、活字は多い方が好き。絵本では物足りない。もっともっと活字が欲しいって思っちゃうから。
家賃が高いから?輸送費が高いから?値上げする。そりゃ売れないさ。だって今の人たちは無駄が嫌いだもの。つまんない本をおもしろいって言っちゃうことに遠慮しちゃうもの。だって失敗は恥だと思っちゃうみたい。別にいいじゃない?自分が好きならって感覚がないらしい。そりゃ無駄なお金は払いたくないのわかる。でも、人間だってそう、なんでこんなにつまんないやつ好きになったのって気づくまで楽しいときもあるわけで。
それで言えば、ゲームって、ゲーム好きに聞いたことがないけど、つまんないゲームってないのかな。とりあえずやったことなくても、ダウンロードとかしちゃうんでしょ。
飽きたらやらないくせに。
あたし、どこに何があるかわかってるなら、それは散らかってるのとは違うって作家が教えてくれた。
家が狭くなってることも、地震が多いことも、本を買わなくなった理由にある?それなら、いっそ図書館に行ってみて。
あたし、古本でも、図書館でもいいと思ってる。そりゃ利益とか、どんだけの思いで作品を書いてるかさ。そういうので言ったら、もちろん買って欲しいけども。お金で、売れたってわかるから。
だけどさ、本当に好きな本なら、手元に置いておきたいと思うから。その一冊になりたい。
図書館じゃ、物足りなくなるときがあるもの。所有欲っていうのかな。自分のものにしたいとか。印象に残ってるところを読み返すのに、なんとなく、なんとなくだけど、電子書籍より、紙の本の方が良くない?
なんだろ、データだけでいいわけじゃなくて。その読む時間とか、ページをめくる手の冷たさとか、持ち歩くめんどくささとかさ。そういうの全部、なんか時代錯誤でもいいな。
本で世界と出会うの。人にすすめてつまらないと言われてもいいと思うの。(なめんなよ第2稿途中にて挫折)
結果的に、ここまでは、書き進めたのですが、これを作品として完成させた頃には、ぴょんぽん堂のアイデアは全部古くなっているし。
10年以上かかるのではと思い、挫折し、noteに企画書を載せることを決断したのでした。
以上、小説を書く苦労の痕跡でした。
小説ってほんとうにいいものですね。戦いがいがありますね。
(おしまい)