麒麟と檸檬
ボクは半年くらい前、三年ほど勤めていた配送業を辞めました。過労で仕事中に事故ったからです。その原因は全部、勤務先の先輩だった果渕(かぶち)にあります。
あいつは最低な人間です。代引き用の釣り銭をちょろまかしたり、朝まで呑んでいたのを理由に自分の担当地区の荷物をボクに押しつけたり。極めつけは、ボクが休みの日に朝から僕を呼び出して、僕に仕事をやらせて自分はパチンコをしていたことです。
はい、あいつのことは心の底から恨んでいました。すぐにでも復讐(ふくしゅう)してやりたかったです。でも当時は何もできませんでした。弱みを握られていたからです。
新人の頃、ボクは人身事故を起こしてしまったことがあったんです。その時の示談金を果渕がすべて肩代わりしてくれて、そのうえ会社には黙っておいてもらっていました。その時はそれが脅しの材料になるだなんて、思ってもみなくて、果渕に何度もお礼をしていました。
退職した時は、果渕だけには悟られないように、営業所の志都呂(しとろ)所長に「内密に退職させてほしい」と伝えてありました。でも退職から一週間くらい経ったある日、突然怖い人たちが家に押しかけてきて、「金を払え」と脅してきたんです。間違いなく果渕の差金です。
借金取りから逃げるために、ボクは一日の大半を外をふらつくようになりました。でも外に出たら出たでまた憂鬱でした。どうしてって、道行く人がみんな幸せそうな顔をしているように見えたからですよ。中には薄汚い浮浪者もいましたけど、それを見て優越感を覚えてしまって……。いずれ自分もこうなることを想像してしたら、自分の惨めさに涙が溢れました。
親になんて頼れませんよ。ボクは受験にも就職にも失敗した落ちこぼれです。あそこに就職したのも、半ば勘当された形で上京して、なんとか拾ってもらったところだったんですから。
死んでいるような日々がひと月くらい続きました。その時のボクは、得体の知れないものに、例えるなら不幸の化身みたいなものに、四六時中心を押し潰しているような状態でした。
リフレッシュは色々と試みました。仕事が忙しくてまったくやれてなかったゲームをしたり、好きな漫画を読んだり。でも何をやってもすぐに退屈になってしましました。大好きだったはずのサイダーやラーメンも、まるでおいしく感じませんでした。
高級な焼肉屋で暴飲暴食したりもしました。それと、今までは卑しく思えて視界にも入れたくなかった風俗に行ってみたりもしました。初めのうちは新鮮味が会って楽しかったんです。でもすぐに、お金を使ってしまった罪悪感が湧いてきて、その隙をつくようにして不幸の化身が二日酔いみたいに襲いかかってきて、さらにボクを苦しめました。
いよいよボクは無一文になって、優越感を抱いていたはずの浮浪者のような、いいえもっと醜くて酷い、廃人とかゾンビのようなものになっていました。歩くというより彷徨うといった方が適切な有様だったと思います。
そんな時、真っ昼間の街中で、若い女の子達の声がハッキリと聞こえてきたんです。
「あんなの今すぐ死ねばいいのに」
「ホントそれ〜」
ゴミのようなボクを蔑んでそう言ったのか、特定の誰かを揶揄して言ったのかはわかりません。でもその言葉は、ボクの耳にスッと入ってきて、ストンと腑に落ちたんです。
そっか、死ねばいいのかって。
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