これからの人間の幸せの行方



そもそも人間の脳と他の動物や虫の脳の構造やキャパはかなり違うので、
虫とか他の動物が人間と世界の見え方が違うのは当然のこと。

しかし、人間が見ている世界は、いや人間の視覚によって見えている世界は本当にそれがそのまま真実なのだろうか。

多くの人間は自分の見えている世界が真実のではないかと思うが、これは全くの嘘で、
人間の脳がある種の錯覚を起こしている状態を見ているのに過ぎない。

宇宙の始まりはビッグバンであるように、ここにある全てのものは一つであり、一つは全てである。

にもかかわらず、人間の脳というフィルターは、全てを個とし、分類する。

例えば、最近のLGBT運動は人と人の分断をさらに細かくするだけに過ぎないし、物質社会の発展の加速化を進める資本主義による経済成長は人間社会における偽りの幸せを徹底的に追求し続けているだけのように見える。

これらのような一見、「良い」とされる社会の動きは果たして真の幸せの方向に発展しているだろうか。

人間は人間である限り、人間が理解できることしか理解できないし、思考が及ばない。

この前提を踏まえた上で人間社会を動かしていくというのが自然のように思える。

つまり、まず、人間一人一人は、コミュニティとか分野とか、企業とか国とか、そういうものに捉われすぎずに、執着せずに生きるというのが幸せに生きる上で最善の生き方だと言える。

一方、社会はその社会全体の意思や社会のあり方を考えなければいけない。

民主主義はいいと思う、でも現在のやり方のように政治家が政治的な観点から国の行方を全て決定するのではなくて、もっと科学や物理の専門的な分野、それぞれが重視するポイントをそれぞれが重点的に決定権を持つというような政治のあり方が最善だと思う。

伝わるかな?文章化ってニガテ。

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