【長編小説】陽炎、稲妻、月の影 #9
第2話 延長線上の哀歌――(7)
「ろむ、聞こえてるか? オレの声が聞こえてんなら、出てきてくれ」
翌日の朝。
生徒たちが登校し始め、徐々に賑わいを見せ始める校内で、俺を呼ぶ声がして、俺は目を覚ました。
「おはよう、アサカゲさん。朝からどうしたの?」
「うわっ、マジで出てきた」
ちょうどアサカゲさんの正面に姿を現した俺に、呼び出した張本人は無慈悲な言葉を浴びせてきた。
ここは第二教室棟四階の普通教室のようだが、アサカゲさん一人しか居ないあたり、今は空き教室であるらしい。この学校には、度重なる心霊現象によって、使われていない教室が多々あり、そう珍しい場所ではない。
「呼び出しておいて、それはあんまりじゃない?」
苦言を呈した俺に、アサカゲさんは、悪いわるい、と右手を縦に振って謝罪する。
「幽霊が姿を見せる時間帯とかって個人差があるからよ。呼んでおいてなんだが、お前が出てくるかどうかは、割と一か八かって思ってたんだ」
「それはそうかもしれないけど。でも俺、アサカゲさんが呼んでくれたら、すぐに駆けつけるよ?」
俺を呼ぶ声、ちゃんと聞こえたし。
そうつけ足すも、アサカゲさんは口角を上げつつ眉を寄せるという、喜んでいるのか怒っているのか、判別のつかない表情を浮かべていた。しかし、俺がそれはどういう感情なのかを突っ込むより先に、アサカゲさんは、
「お前を呼んだのは、道案内を頼みたいからだ」
と、話を戻した。
「良いよ。どこに行くの?」
今が朝のSHR前なら、あまり時間もないだろう。
そう思って、俺もこれ以上は茶々を入れずに、アサカゲさんの言葉に頷いた。
「まずは大桃先輩のクラスだ。朝なら教室に居るだろ」
「二年何組かは、わかってる?」
「ああ。萩森先生から教えてもらってる。二年三組だ」
「それなら、この教室棟の一階だね。確かにここからだと、少し行きにくいかも」
頭の中で経路を作成しつつ、俺は言った。
「あと、その近くで、人気のない場所ってわかるか?」
「ええと……うん、あるよ。昔、子どもの笑い声がするって噂になって空き教室になってるところだけど、良い?」
「何年も前の話なら、先生が対応済だろ。じゃあ、大桃先輩を捕まえたら、そこに案内してくれ」
「おっけー。じゃあ行こっか」
ぐっと親指を立てて了承の意を示し、早速アサカゲさんを先導するように歩き始めた。
どうしてオオモモくんを呼び出し、あまつさえ、場所を変える必要があるのか。
それは訊かずともわかっている。
君の執着が、亡くなった先輩の成仏を妨げている――なんて、他人の耳には入れたくない話題だ。
廊下に出て、階段を下り、また少し廊下を歩いて、階段を下りてを繰り返す。始業時間が近づくにつれ、校内の生徒数は増えていく。これだけ人が多ければ、俺とアサカゲさんが話していようと誰も気に留めなさそうなものだが、アサカゲさんは終始無言だった。
膝から下がない俺を視てぎょっとする生徒が半分。
あからさまにアサカゲさんを避ける動きを見せた生徒が半分。
活気あふれる朝の空気の中に混ざる、到底無視できない殺伐とした空気。
針の筵の中を歩いているかのように、ちくちくと視線が刺さる。
あまりに居た堪れなくなって、俺は少し後ろを歩くアサカゲさんの表情をちらりと覗き見た。
果たして、アサカゲさんは、感情を押し殺すように、険しい顔をしていた。
こんなことはなんとも思っていない、とでも言いたげに。
けれど、無遠慮に向けられるそれに対する嫌悪感と諦観が隠しきれておらず。
それは先月高校生になったばかりの、ほんの十五歳の子どもが浮かべる表情ではなかった。
「アサカゲさん!」
気づけば、俺は彼女のほうへ振り返り、名前を呼んでいた。
アサカゲさんは反射的に返事をしようとして俺を見て、それから、不機嫌そうに口を噤む。
違う。おれはこの子に、こんな表情をさせたくて名前を呼んだわけじゃない。
「さ、サンカヨウって花、知ってる?」
脈絡もへったくれもない俺の質問に、アサカゲさんはきょとんとしていた。しかし俺は構わず、後ろ歩きをしながら続ける。
「別名スケルトンフラワーって言って、普段は白い花なんだけど、なんと驚き、濡れると透明になるんだよ。どういうメカニズムだったかな、確か、光の散乱の関係がどうのって感じだったと思うんだけど」
そんな話をしているうち、一階へと続く階段に差し掛かった。この辺りの道はショートカットには持って来いだが、道順が複雑過ぎる所為か、俺たちの他に人影はない。アサカゲさんもそれを確認するように周囲を見回してから、小さく吹き出した。
「なんなんだよ、いきなり」
そう言った表情は、さきほどと打って変わって落ち着いているように見える。
俺は内心ほっと胸を撫で下ろし、
「別に? なんか急に雑学を披露したくなるときってあるじゃん?」
と言った。
階段を下りながら、俺の真意を図ろうとしていたアサカゲさんは、しかし一階に着く頃にはそれを諦めたらしく、肩を竦めた。
「よくわかんねえけど、どうせならもうちょい身になる雑学を披露してくれよ。人が居るところじゃ相槌も打てねえけど、耳は傾けとくからさ」
それより、次はどっちに行くんだ、ろむ?
と。
アサカゲさんは、歯を見せて笑った。
俺には、これくらいのことしかできないけれど。
だけど、なにもしないよりは絶対に良いはずだ。
できることがあるのなら、やるべきだ。
「それじゃあさ、アサカゲさんってツツジの蜜を吸ったことってある? 実はツツジって、品種によっては毒があるから危ないんだよね。レンゲツツジっていう種類に毒性があるんだけど、見分けかたがなかなか難しくって――」
話を続けながら、二年三組の教室へ歩を進める。
二度三度と角を曲がれば、あっという間に目的地に到着した。
「さんきゅな」
アサカゲさんは二年三組の教室に入る直前、ちらりと俺に視線を遣ると、小声でそう言った。
彼女の柔らかい微笑みに、俺もそれに表情を寄せて頷いて見せる。この穏やかな雰囲気のまま、オオモモくんを呼び出すものだと思ったのだが。
次の瞬間には、アサカゲさんの表情は再び険しいものへと変貌してしまった。恐らく、彼女なりに気合いを入れているが故だろうが、道場破りでもしかねないその気迫はまずい。
しかし、俺がそれを指摘するよりも先に、アサカゲさんは教室内に足を踏み入れ、
「大桃先輩、居るか?」
と、これまた高圧的な呼び出しをしたのだった。
……さてはアサカゲさん、上級生の教室に来て、緊張しているな?
俺がそんな呑気な感想を抱いているのとは裏腹に、アサカゲさんの一声で、教室内は静まり返っていた。しかしアサカゲさんはその静寂をものともせず、目を眇めて教室内を見回したかと思うと、一人の男子生徒を指差した。
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