心にガムがへばりついた。
新年あけましておめでとうございます。
本年もどうぞ宜しくお願い致します。
衝動的に何か書きたくなった時にしか開かないような私のnote。
今回のキッカケは仕事でとても嫌なことがあったから。新年早々。
その後に厄年であることを知って、なんだか自分がそういうツイていない星周りのもとに1年生きるような気持ちになってしまい、年女で縁起がいいなー♪きっと良い年になるんだ!と信じていた私にとって、知りたくなかった事実であった。
もうこうなってしまうと、何か嫌なことがあるたびに、本厄だからだ…と思ってしまいそうで恐ろしい。知らない方が幸せなことなどこの世に溢れているのだ。
私の心にへばりついたガムの話は詳しく話さないけれど、まだ投稿していないし恐らくすることはないであろう去年のnoteの下書きをたまたま見たら、良いお客様ばかりで嬉しいというような事を書いていて、その時の私をなんだかとても可哀想に思った。
だが知っていたとしても、来年はとんでもなく嫌な人に会うよと、あの時の私には言えないだろうな。
どう消化すればいいかわからないこのガム。
剥がそうとしてもへばりついて全然とれない。
だけれど私は人にやさしく生きようと思った。
死んでしまいたいかもしれないと少しだけ思うぐらいに嫌な気持ちになった。
去年の2月は暇で、ワンピースを全話観るぐらい時間を持て余していたのに、少しあの頃のぐうたらな自分とバトンタッチして休みたい。
子供にだけではなく、大人にこそ夏休みみたいなものは必要なのだ。
仕事が楽しくて好きだったのに、またあんな思いをするのかと思うとあまり行きたくなくなってしまう。みんなが機嫌良く生きていたなら、みんなが機嫌良く生きられるのに。
最低最悪に出会ったのが他のスタッフではなく私であったということだけが唯一の救いだ。
こんな思いを誰にもしてほしくない、知ってほしくない。私も知りたくなかった。
あの人が暮らしているというだけでこの町を嫌いになるには十分だ。
私はもう引っ越したくなっている。
そのぐらい嫌な気持ちにさせられるあのガムも、ある意味凄い。
いつになったら忘れられるだろう。
いつになったら味がしなくなるだろう。
少しだけ疲れたのかもしれない。
生きているだけで褒められたい。
理由もなく、そっと涙が出る夜に
すっかり大人になってしまった自分に嫌気がさす。
沢山の業務と責任感でおなかがいっぱいだ。
楽になりたいと考えてしまう。
私はずーっと、ずーっと今まで通りのんきに、ただのんきに楽しく生きていたいだけだったのに。
それだけなのに。
たった一つの引き金で、私はどこまでも落ちぶれてしまえるのだと知る。
秋元康ならこんな気持ちも爽やかな曲にしてしまえるのかなぁ。
半年後にこれを読んだ時に、なーにバカなこと書いてんだよ!と自分に言えるだろうか。
明日も仕事だというのにこんな時間まで起きて、煙草を吸いながらお湯を沸かしている。
やさしい紅茶を飲んで温まって、やめやめ!明るくいきましょうや!と自分と肩を組んで、こんな夜がなかったことになったらいいのに。
こんな夜から夜逃げしたい。
ふざけた記事ばかり書く予定だったのに
予定ってのはいつだって未定だ。
嗚呼、京都に住みたい…。
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