母語について
2月21日は「国際母語デー」です。1999年にユネスコによって制定されたそうです。まつーらとしお先生のこちらの呼びかけに従って、何か書いてみることにしました。
言語学関係のみなさん、明日2月21日の #国際母語デー に合わせてこの日に何か簡単なブログ記事を書きませんか? #みんなの母語デー を付けてくれたら私がちまちま拾ってまとめます。記述だとか理論だとか問わずいろんな分野の人が書いてくれるといいなー?(チラッチラッ
— まつーらとしお (@yearman) February 20, 2025
さて「母語(ぼご)」という言葉を知っていますか?ある人のネイティブの言語、第1言語のこと、といえば分かるでしょうか?「母国語」という言葉は、「母国」の「言語」ですから、人によっては「母国語」イコール「母語」でしょうが、そうでない人もいることでしょう。ですから、ある人のネイティブの言語を指すときには「母語」という言葉を使うといいです。
さて、私の母語は日本語です。生まれ育ったのは、現在の香川県東かがわ市引田(ひけた)、かつては大川郡引田町(ひけたちょう)でした。1968年に生まれ、1988年に進学のために上京するまで、アメリカに留学していた1年間(1985年〜86年)を除いて、ずっとこの町に住んでいました。
父親は引田町生まれ、母親は隣の町の生まれなので、姉たち、近くに住んでいた親戚たちもみんな讃岐弁で話していました。香川県の主要な方言である讃岐弁もいくつかのバリエーションがあると思いますが、引田町の讃岐弁が私の母語ということになろうかと思います。
今でもよく覚えているのですが、少なくとも中学の時までは、共通日本語(標準語?)で書かれた国語の教科書を、讃岐弁のアクセント(関西弁のアクセントに近い)で読んでいました。これ、側から見るとただの「訛り」かも知れませんが、先生方もみんなそんな風に読んでいました。テレビでは大阪を中心とした関西圏のテレビ番組も多く放送されていた土地柄だったので、全国ネット局で放映されるドラマや歌番組の日本語と、吉本のお笑いの番組の日本語が違うことは知っていましたが、自分の讃岐弁も含め、ゆるやかに繋がった「同じ言語」という感覚でいたと思います。
後に、大学で言語学や教職科目の授業を受け、小・中学校で受けていた「国語」の授業が「標準語教育」であったことを知るわけですが、引田町に住んでいた頃は、「ゆるやかに繋がった日本語」を話している感覚しかなかったように思います。
大学で知り合った神奈川県出身の女性と結婚し、今は神奈川県に住んでいますが、子どもを育てるときに、自分からは出来るだけ讃岐弁で話そうと決めていました。今から考えると非常に合理的だったのは、実は共通語(標準語?)で使われる「子育ての日本語」が分からないことに気がついたのでした。自分が大きくなってきた過程で聞いた讃岐弁ならば赤ちゃんに対しても、幼児に対しても声かけできるのですが、共通語ではなんというか、困ることが何度もありました。母語は、母からもらった・受け継いだ言語ということですが、こんな「縛り」もあったのか、と感じた次第です。
私は、今年(2025年)で57歳になり、故郷を離れてから40年近くがたつわけですが、毎年実家には戻っているし(コロナ下を除く)、実家の母とは月に2度くらいですが電話で話すので、まだまだ母語の讃岐弁を話せるつもりでいます。でも、家族や友人と疎遠になってしまったら、話せなくなるのだろうか?と、今年の国際母語デーには、そんなことを感じてしまいました。
まとまらない文章になりましたが、最後までお読みくださり、ありがとうございました。さて、あなたの母語はなんですか?よかったらコメント欄で教えてください。では👋