見出し画像

自己紹介


今更ながら、自己紹介をさせてください。


名前:Manaka
年齢:30歳
出身:大阪
星座:さそり座
血液型:B型
趣味:甥の頭皮の生え際を嗅ぐこと、映画鑑賞、舞台鑑賞、カラオケ、姪甥と遊ぶことetc.


と、
小学生の頃、友達と書き合いっこしたプロフで得られる情報くらいしか浮かばなくて
それなりに人となりが分かる自己紹介が、”簡潔に”書けないものかなぁと思いあぐねているうちに、後回しになっていました。




学生編


私は日本で生まれ育った、在日コリアン四世です。(正確には4.5世)
故郷は大韓民国の南東部、大邱(テグ)の近所だそうですが、行ったことはありません。

『まなか』という日本読み名の他に、
『エヒャン(韓国語)』、
『Emma(英語)』
の3つの名前を、そのときの気分と言語によって使い分けています。

※Emma以外は両方とも本名です。エマという呼び名はイギリス留学中、現地の友人から授かりました。現在、世界中に私をこうに呼ぶのは十人くらいかな……。


個人的には、『まなか』という呼び名を気に入っています。
「本名を名乗れ。」と言う人もいますが、私にとってはどちらもれっきとした本名です。

上には二人の姉がいて、両親は末息子が生まれることを期待していたそうです。
性懲りもなく三人目の女として生まれた私を見て、二人そろって
「またか!」
と言ったのが名前の由来だそうです。
(それが冗談だと知ったのは高校生くらいのとき。)


亡くなった祖父母は生前、私を『まぁ』の愛称で呼び、家族や親しい友人からもそう呼ばれているので、一番しっくりきます。


だからと言って、韓国名を大切に思っていないわけではありません。
『エヒャン』として過ごした学校生活が約十年。
日本で生まれ育った韓国人。
日本でも韓国でも『外国人扱い』。
どこにも所属感を持てない不安定なアイデンティティーについて、悩んだ時期もありましたが、今となっては”私”という人格を形成する上で欠かせないパーツのうちの一つです。



そして海外に行き、『Emma』という視点から世界を見ると、それまでとはまた違った視座を持つようになりました。
第三者の立場からそれまでの自分を見つめるという作業は、私にとってとても有意義な体験でした。

3つの名前を、TPOと”生きやすさ”に合わせて使い分けています。


それぞれの名前に、思い入れと歴史があり、思い出を愛蔵しています。


日本語、韓国語、英語を話します。
幼少期から語学には非常に強い興味があり、話す言語の種類が多ければ多い程、その分思考の窓も多くなる気がしました。

これまでに、十五か国以上の国に行きました。
高校ではオーストラリアで短期ホームステイ、
大学ではイギリスのリーズ大学に学部留学経験があります。



社会人編

卒業後、アパレル販売員として働きながら、
シンガーを目指して、大阪でライヴ活動を行っていました。
昔から歌うことが好きで、生来目立ちたがりなため、
将来はスポットライトの下に立つことしか頭になかったです。


でも、世の中は歌の上手い人で溢れていると分かりました。私レベルの歌唱力を持つ人なら、どこにでもいました。それでも、歌以外にやりたいことが何も浮かばなかったです。
自分で曲を書いたりもしました。


数年後、ある方の勧めでお芝居の勉強を始めました。
「声量と表現力が足りないから、芝居してみ」
の一言で、何気なく始めたのがきっかけ。
いろんな舞台を観ている内に、歌よりも演劇に強く惹かれるようになりました。


自分とは別人格になり、その役の人生を生きることに快感を覚えました。
もともと変身願望が強かったのかも知れません。
考え方や感じ方まで変わった気がして、面白くて仕方ありませんでした。


ある日観劇した舞台でとある俳優さんを知り、憧れ、どうしてもその人の元でお芝居の勉強がしたくて上京。
このときの出会いは、私にとって運命的なものでした。


東京編


こっからはダイジェストでいきます。
と言うのも私自身、起こった出来事をまだ自分の中で消化しきれていないのかも知れません。


俳優活動 → 脳腫瘍発覚 → 東京の先生に「手術は難しいと言われる」
 → 強制帰阪 → 11時間の手術 → 半身麻痺の後遺症が残る → ライターを目指す → 今ココ。 


我ながらわちゃわちゃした経歴だな。笑



今後少しずつ、放出するつもりです。


ちなみに私の発症した脳疾患は、『右脳視床下部海綿状血管腫』です。
海綿状血管腫の原因は未だ医学界でも解明されておらず、若年層でも発症することはあるそうですが、ほとんどが脳の表層部分にあるため簡単な摘出手術で済むそうです。

私の場合は、都立総合病院の脳外科医がためらうほど、あまりいじってはいけないと言われている脳幹部での発覚でした。

執刀してくださった脳神経外科・富永病院のM先生。
どう感謝を伝えればいいのか、言葉がまだ見つかりません。


また東京で俳優を目指していた期間、たっくさんの出会いがあり、その全ての出会いに感謝しています。


出会いに感謝


お察しの通り、私は一年後、半年後、一か月後の未来がいつも想像の範疇にはありませんで、
周囲の人に心配をかけたり、驚かせてばかり……。


思い返せば私の人生には、いつでも”メンター”がいました。

彼らが私を、そのときに居るべき場所に導いてくれた気がします。

これまで多くの素敵な人たちに出会い、予想外の出来事も体験でき、そのおかげで、今日まで楽しく生きてこられました。

行く先々で珍事件が起こる運命みたいで、今にして思えば何もかもが必然の出来事だったように思います。


これからどこに行くのか、楽しみです。



ライターとしては、過去にこんなの書いてます。
ぜひご清覧ください。

なぜ書こうと思ったのか。
恩人へのインタビュー記事で少し触れています。


私にとって書くことの意味


今後自分がどういうものを書きたいのか、正直まだはっきりとは分かりません。

書くのがすき

としか今は自信を持って言えない。



それでも”書く”ということが、今の私にとって大きな支柱となっていることは確かです。

そこには大きく分けて二つの意味があります。


ひとつめは、『整理』。

猛スピードで変化する周囲の環境、自分の置かれた状況を文字に起こすことで、そのときどう感じたか、書いている今はどうか
当事者としてではなく、第三者の目から見直せば、ごちゃごちゃした気持ちや出来事を整理することが出来ると思いました。
実際、書いてから初めて気付く自分の気持ちがあることや、人のありがたさを再確認できることが多いです。


ふたつめは、『解放』。

私は、全然いい子ではありません。
人生の大先輩にも
「お前は性格悪い。」
と言われます。(その言葉にすら愛情を感じますが。)
出来ればポジティブで前向きな、”陽”の発信だけをしたいと思っていました。そういう風に生きたいとも。
でも、それだけじゃ伝わらないものもあって、自分のネガティブな部分、醜い部分、”陰”の部分を受け入れてこそ、深みのある面白いものが創れるんじゃないかと思いました。
嫌われ否定されることを過剰に恐れている自意識過剰な自分を解放する手段。

そして何より
自分を晒すことで、世界のどこかにヒビが入ればいいと思いました。たくさんの疑問が浮かべばいい。
目に見えないものを想像して、創造して、表現に昇華できるようになったらかっこいいなぁ。


最後に


ここまでご清覧いただき、ありがとうございます。

こうして私の綴った文字を、今あなたが追ってくれているのもひとつの御縁です。

出会ってくれて、ほんとうにありがとう🤍🥹

よろしくお願いします!

このnoteではテーマやスタイルを決め込まず、そのとき思いついたことや感じたことを、自由に綴っていこうと思っています。


しばらくは、毎日書くが目標です。
拙い文章ではありますが、通勤中、休憩中の話し相手みたいな感じで
小さな小さな日課のひとつに組み込んでいただけるとこの上ない喜びでございます😍

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集