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無知無知の無知の知
一昨日、半年に一度の脳検診でした。
MRI、いつまで経っても慣れないし嫌いだなー、
と思っていたのですが、最近はなんやかんやと忙しなくて疲れていたせいか、あの工事現場のような爆音も心地よいお経みたいに響いて、ちょっとした瞑想タイムになりました。
余計なことを考える隙を与えないうるささが、かえって落ち着くんだと思います。
久しぶりに会う、主治医のM先生。
母が先生の大ファンで、私の脳の経過観察のためというより、M先生に会いたいからという理由で、今回は診察室までついて来てくれました。
ここでいつも私は、半年分の不安と心配事、悩み事や疑問をぶつけるのです。
先生の顔を見ると溜まっていた不安が解き放たれて安心するのか、いつも泣きそうになって上手く話せなくなります。
いつだって上手く話せないんだけど、いつにも増して、言葉がほとんど支離滅裂に。
不安ハンティング
もう手術から4年も経つし、再発の可能性はゼロではないけれど極めて低いとも言われているのに、消えないものですね。不安ってやつは。
たとえば健康体で、経済的にも身体的にも生活になんの支障もない状態だとしても、なにかしらの不安要素を自ら探しにいく生き物なんだと思います。
これも一種の防衛本能でしょうか。
ある程度の危険察知能力は必要だけど、それに悩まされたら元も子もないわよね。
「不安はどこから来るんだろう」
そう考えたときに辿り着いた答えのは、「無知」でした。
恐怖心の出所もそうかも知れませんね。
対象についての知識が乏しいから、あれこれ妄想だけが膨らんで(だいたいそういうときの思考って悪い方向に向かおうとするよね)、
「もし失敗したら」
とか、
「もしまた同じことが起こったら」
とか、起こるかどうかも分からないことで怖気づいて、不自由で窮屈な生き方になってしまう。
それらは全て無知からくることで、100%信憑性のある事実を得られるとは限らないけれど、統計データや専門知識を持ったエキスパートの意見を聞きながら体系的、理論的に学ぼうとする姿勢が、不安を和らげるのではないかと思いました。
だからここ数か月間、いろいろ読んだんです。
脳科学や心理学についての本を。
途中、フロイトやユングの人生と独自の解釈方法に興味を持ち、当初の目的から大きく脱線もしましたが、少なくとも半年前の自分よりは脳について詳しくなりました。
その過程で分かったことは、
「脳についてはほとんどが未知」
ということです。
これぞ無知の知……?
いや待てよ、最初から私は無知を自覚していました。だから知ろうとしたわけだし。
その結果、脳はほとんどが未知の領域だということを知りました。
にもかかわらず、感情や感覚、情報処理や記憶、生きていく上で最も重要な役割の全てを脳が担っているといっても過言ではないほど、重要なパーツみたい……。
そりゃ神の存在を信じたくもなるし、祈りたくもなるわなぁ。占いも妄信するわ。
でも面白かったです。
これまで私の文章にコメントをくださった方の中にも、脳について詳しく教えてくれた人がいてその度に、脳ってやっぱすげーや、って思います。
知ってさらに怖くなることも。
私が血管腫を摘出されたのは、右脳の視床下部という箇所なのですが、脳幹部ということもあり結構大事な部分みたい。
全部大事なんだけどね。
なんてったって自分の身に起こったことですから、そりゃ重要度も恐怖心も誇張されます。
さすがM先生
先生に、これまでの私とは一味ちがうのよ、ってところを見せたかったし、
何よりも、正しい知識を得て不安の種を払拭したかったんです。
「先生。術後、自分の感情をコントロールできなくて以前よりも情動的になったり、理解力が著しく低下したように感じるんですが、これも後遺症のうちのひとつなんですか?
それに目も。視野がだいぶ狭くなって、本を読んでいると文字が崩れていくことがあるんです」
言いながら、やっぱり泣きそうになりました。
私は何を確認したかったんだろう。
と、今となっては思います。
集めた知識によると視床下部はあらゆる感情や感覚の処理を行っているから、そんなとこから直径4㎝サイズの腫瘍を摘出したら、性格や価値観までがらっと変わる可能性だってあるんじゃないの。
ここ最近、私を悩ませていた不安です。
仮説にすぎないけれど、私の中では高い確率で立証されていました。
だって、自分ってこんな性格だったっけ?と思うシーンが、あまりにも増えたから。
でもそれが本当だとしても治せるわけじゃない。
一度いじった脳は、以前と同じ状態には戻せないんだよな。
身体の麻痺障害にだって全然慣れていないのに、目に見えない後遺症があると知っちゃったら私、どうなっちゃうんだろう。
私は先生に、なんと言って欲しかったんだろう。
何を言われても、不安は消えなかったと思います。
しかし、相手はM先生です。
私の命を、繋いでくれた人。
どの病院でも手術は難しいと言われたけれど、初診で「取ろう」と言ってくれた人。
いつだって予想を超えてきます。
「ぼく脳については詳しくないから分かんない」
診察室の空気感が、一気に変わった瞬間でした。
数か月間抱え込んだ悩みと不安がはじけて、吉本新喜劇よろしく、椅子からズッコケそうになりました。
待て待て、落ち着けって。
わけを聞かせてもらおうじゃないの。
「脳科学は全く違う分野だからね。分かってないことが多いし、どんな後遺症が出るかは僕も分からない。視床はそうだね、視界に影響が出ることは多い。でも、なんでもかんでも繋げようとするのは良くないと思う。残った腫瘍は動きながら形を変えるものだし、これからも変わり続ける。キリがないし、考えすぎないこと。今は大人しくしてくれてることが事実なんだし、それが大事なことなんじゃないかな」
――あぁ。
私は不安だったんじゃなくて、否定したかったんだ。
今の自分を。
人からは受け入れられたいと望みながら、自分自身が一番、自分を受け入れようとしなかったんだ。
私がこうなのは私のせいじゃなくて、病気のせい。後遺症のせい。
そういう風に理解を捻じ曲げて、自分を必死に守ろうとした。
でもそれは、これまでの自分の選択、ありのままの自分を否定していることと同じこと。
身体の麻痺症状も、脳に残った腫瘍も、既に私という人間の一部で個性。
私は何を学んだつもりになってたんだろう。
学ばないといけない対象は、一番近くて一番遠くにいる、変わり続ける自分自身なのに。
否定から始まるものはない
帰りの車中、母はうっとりと言いました。
「やっぱり大好きやわ。あの先生」
私も、とは言いませんでした。
先生については、好きとか嫌いでは分類できない感情を持っていて、私にとって師匠であり、救世主であり、恩人であり、異星人であり……。
たった一人の、わたしの先生。
自分を否定したら、命を救ってくれた先生のことまで否定することになる。
これまで出会った全員のことを、否定することになる。
それは、私が選びたい生き方ではないです。
結局分からないままなんだけれど、全てを知ったつもりで生きるよりも、世界はまだまだ分からないことだらけという状況を面白がることができる人は、とっても魅力的だと思います。
そういう、先生みたいな人になりたいから、ちょっと(だいぶ)めんどくさい自分とも末永く付き合っていくつもりだし、単純に知識を詰め込むだけじゃなく、優しさというインテリジェンスを持った人を目指します。
長い旅になりそう……。