成功を果たした、残酷なデットエンドを回避するためのプロダクトマネジメント
苦労してプロダクトの仮説検証を推し進め、ようやくMVPのリリースへとこぎつける。実のところ勝負はその先にあって、MVPに至ってなお、最初の仮説の原型がなくなるくらい検証とアップデートを繰り返す。プロダクト作りにおいてよくある風景。
運良く事業としての最初の嵐を乗り切る。いや、乗り切ったと感じるのは実際にはだいぶ後になってからだ。無我夢中になって日々を重ねる果てに、気がつけば検証をとっくに終えていて、磨き込みを行っている自分たちチーム自身の姿に気づく。意識的な仕組み化が、より強調されていく。
その月日が年を数えるようになると、事業としての成熟を迎える。チームのメンバーは入れ替わり、最初期を知る者は1人2人となってくる。新メンバーのオンボード問題、右肩期待の収益へのストレッチ、MVP時代の負債を奥深くに眠らせたままのプロダクト、効率的なルーチンと紙一重のマンネリ化。何かをしようにも人手は足りない。採用はもちろん進まない。やがて、WHYは日々によって置き去りにされる。
成功を果たした、残酷なデットエンド。…を迎える前に、乗り出しておこう。不確実性の、2周目のジャーニーに。
この10年は「不確実性をいかに低減せしめるか」に光があたってきた。仮説検証は、価値がない、意味がない、WHYがないものを作らないように取り入れられてきた。「仮説検証」という概念自体が10年前に比べて、圧倒的に人口に膾炙するようになっている。下手すれば「アジャイル」よりも広がっているかもしれない。この概念をゼロの状況から追ってきたものとして、感慨深い。
一方でこれから先は「不確実性をいかに見出すか」のために、その役割を広げていくことになるだろう。あえて不確実性を呼び込む。プロダクト作りの平和で退屈な立ち往生を突破するために。不確実性をただ回避する対象とするのではなく、そのものを武器にする。「不確実性を飼い慣らす」ために、息を吸ってはくように仮説検証する。
そんな状況がまた、ごくふつうとなる時は近いのだろう。そうなるのに十分な適応性が、人には備わっている。