組織やチームで、「動けるからだ」をつくろう
「動けるからだ」を作ろう。この話を組織アジャイルの文脈ではよくやる。
やるべきこと、やったほうが良いことはいくらでも挙げることが出来る。組織として、チームとして、心理的安全性を確保して、OKR決めたら、1on1でフォローしながら、組織全体はパーパスを言語化し、プロジェクトはアジャイルにプロダクトマネジメントしよう、ひとたびに形になればDevOpsが必要で…といった具合に。私達の周囲はやるべきことで満たされている、溺れてしまうくらいに。
そうした一つ一つのことに重要性があり、取り組んでいく必要がある、というのは勿論そうなのだけど、ともすると概念、ワードに振り回されかねない。自分たちの状況をより良くしようとして取り組んでいるはずが、概念のほうに操られてしまっているような状態。
これも芯アジャイルのあとがきに書いたことだが、過去の数多くの「教え」は今でも私達にとっては福音のようなもので、導きを得られる。一昔前の組織変革本でも、アジャイルの書籍でも開いてみれば、書いている内容に激しく首肯する。ここにもう答えあるじゃん、と。そして、次の疑問に辿り着く。それにも関わらず、一体私達は何をしているのか?と。
概念や教えに飛びつくと、一定のトライアル状態が作れる。それは一時的な熱狂は生むが、長くは続かないことが多い。目の前の状況に当てはまらない、持続させるには労力が見合わない、周囲がついてこない。ブレーキをかける力が働き、四半期くらいの寿命で最初の熱狂を終える。そして、しばらくして別の「次」が始まる。この運動を繰り返す。
私達がやるべきことは「概念の消費」ではない。適切なタイミングで、適切な行為を起こし、期待する結果を引き寄せることだ。そのためには、「道具」を引き出しの中に入れ、いつでも取り出せるようにしておく必要がある。そういう状態を作るためには、道具がどういうもので、どういうときに使えるのかといった調査や、本当に有効なのかという検証、一定の習熟を得ておくための実験などが要る。
そして、トライアルとは文字通りトライアルなので、一回試行したところで必ずうまくいくわけでもない。「この組織のパーパスを言語化しよう」としたところで、いままで影も形もなかった大義をいきなり言葉として結晶させ、合意と納得を作り出そうというのは極めて難しい。
何度かの試行、ときを置いての再試行、そうした動きが組織やチームで取ることが出来るかが問われる。そこは、自分たちのぼんやりとした「感覚」にのみ依らず、仕組み化として備えたい。これが「動けるからだ」の意味だ。
組織やチームを反復的に律動させるすべと原理として、「アジャイル」をその身に宿そう。ただ、アジャイルな動きというのは、なれないうちはそれまでとの違いで戸惑ったり、苦労することがある。人体にとっていきなり激しい運動が適さないように、組織にもアジャイルがいきなりすぎることがほとんどだ。だから「段階」を置こう、という作戦にもなる。
準備運動を行うように徐々にからだを慣らしていこう。