組織の「鼓動」は、あなたから始まる。あなたが送り出す「鼓動」はいつか心臓を通るだろう
書籍「組織を芯からアジャイルにする」で、最も滾る思いを詰め込んだのは4章、特に "血があつい鉄道ならば走りぬけてゆく汽車はいつか心臓を通るだろう" である。寺山修司の「ロング・グッドバイ」の一節をそのまま、節タイトルに採用させてもらった。
われわれはいつの間に、これほど互いへの「関心」がなくても仕事が出来てしまうほど「最適化」してしまったのだろう。組織アジャイルとは、組織に「関心」を取り戻すための活動と言える。それは、全くもって容易ではなく、至難の挑戦となってしまっている。
組織に「関心」を取り戻すためには、まずもって「われわれはなぜここにいるのか?」に向き合う必要がある。共通の「意図」を見い出せないようだと、組織のていを成すこと自体が叶わなくなってしまう。そのために、そもそも向き合うべき組織の「意図」自体を作っていく必要があるし、それぞれの立ち位置で「むきなおり」から始めていきたい。
組織によっては、この共通の「意図」を見出すということが、とてつもなく高いハードルになってしまっている状況がありえる。長く「意図」が不在になってしまい、その上で「とにもかくにも目の前のことを」日々の営みを重ねてきてしまった結果が招いた状況である。技術的負債ならぬ「認識負債」を強固に築き上げてしまっている組織は少なくないはずだ。
加えて厄介なのは、どうにか「意図」をあわせて、互いの仕事への「関心」が芽生えたとしても、それを持続させる為には相応の労力が伴うということだ。
人は置かれている状況に適するように自ずと「最適化」を始める性質がある。目の前の仕事を上手く成し遂げるために、焦点をあわせ集中していく。その結果、組織内における「関心」は自然と減衰していく。
私達自身が「無関心」なのではない。目の前の関心事が注目を奪い、徐々にマインドシェアの割合を変えていくのだ。
ゆえに、私達には互いの関心をナチュラルに繋ぎ続けられる何か、日々の営みの礎となる仕組みがそもそも必要なのだ。それが、「組織アジャイル」を取り入れていく動機にあたる。
互いの「関心」が乏しくなっている組織に、その組織にとっての新たな可能性を切り開く原動力を見出すのは難しいだろう。組織を人体に例えるなら、関心とは人の体を動かす「血液」にあたる。
「血液」を循環させるためには「鼓動」が必要だ。鼓動はどこから生まれるのか? もし、組織から「心臓」(からだの芯 = 共通の意図)が失われているとするならば、組織に「鼓動」を期待してもどうにもならない。
では、鼓動を生み出す「芯」はどこにある? 組織の「芯」とは、一人ひとりに宿る。互いの「関心」を取り戻し、重ね合わせなければ、どこにも行けないと気づいた、あなた自身に宿る。鼓動は、あなたから始まる。あなたが送り出す鼓動はいつか心臓を通るだろう。
"血があつい鉄道ならば走りぬけてゆく汽車はいつか心臓を通るだろう" この一節をいまだ身に宿しているのは、アジャイルにおける先達のおかげに他ならない。きっと鼓動は続いていく。過去から、そしてこの先へと。
(本稿はシン・アジャイルAdvent Calendar 11日目として書いている)