組織を芯からアジャイルにする。
デジタルトランスフォーメーション支援の旅を続けていく中で、辿り着いたのは、組織のあり方としての行き詰まりだった。いや、行き詰まってはいない。むしろ、一直線に迷わず突き進んでいるといえる。より適切な判断や行動が取れるようにと、判断基準や行動原則を磨く。それまでよりも適切に。脇目も振らず、効率への最適化を。
それはさながら、最適化への最適化とも言うべき奇妙な、そして決して止まることのないモメンタムだった。
「デジタルトランスフォーメーション・ジャーニー」では、いかにしてDXという名の組織変革を果たすのか、そのために必要な手立てを描くことに焦点をあてた。永遠の正解などないから、どこへ行きたいかによってその手立ては常に再定義が必要となる。それでも、丸腰で臨めるような取り組みではないから。ジャーニーを歩むための手がかりを提示したつもりだ。
赤い本の9章を書き終えるときに、次の本が必要になると確信した。かつて「カイゼン・ジャーニー」を書き終えたときに即座に「正しいものを正しくつくる」を書き始めたように。
私は9章のタイトルを「組織のジャーニーを続ける」とし、旅を続けるために必要となる新たなケイパビリティについて、改めて語ることとした。それは「最適化」に代わるもの、「探索」と「適応」というオルタナティブのことだった。
「最適化」だけではなく「探索」と「適応」を獲得していく必要がある。一人の個人として、チームとして、組織として、様々なレベルにおいて一様に必要となる。
おそらく、日本という国がこれまで培ってきた価値観、醸成してきた組織のあり方、それに基づき洗練してきたかに思える環境。それらによって育まれ、人に宿る「最適化」という唯一解。その選択肢だけでは、もはやどうにもならないところに来ている。それがDXという切り口で垣間見えた日本の組織の、今ここの姿だった。
しかし、必要性は良しとして、いかにして「探索」「適応」なるものを獲得するのか。私達は「探索」と「適応」をちょうどよく別の語彙で表現することができる。それが、私達が既に手にしている「アジャイル」だ。
つまり、この話はいかに、一人の個人として、チームとして、組織として、そのあり方とやりようとして「アジャイル」を宿していくかということに辿り着いていく。
ただし個人として、チームとしても、アジャイルに向き合うことは容易なことではない。そして、このテーマはそれらのレベルにとどまらず、組織として取り入れていく話であり、そうでなければ結局のところ日本の現場や職場が変わることはないだろうというペシミズム優位となるものでもある。
希望はあるのか?
希望はある。
その根拠はむしろ身近に存在する。それはソフトウェア開発が、この20年で示したことに他ならないものだ。そのことを言葉にしなければならない。物を語ることによって、我々は常に存在する可能性を現実のものに引き寄せることができる。それが本の持つ、力だ。
書籍のタイトルを決めるのはいつも苦労する。だが、赤い本を書き終えたときに、既に心に決めていた。次は、「組織を芯からアジャイルにする」とすることを。
その時々に旅を選び続けてきた。組織を芯からアジャイルにする、この旅もまた容易ならざるものになる。ただ、これは自分にとっては気負って歩んでいく旅としては最後になるかもしれない。そういうつもりで、この名前を選んだのだった。
組織を変えようと藻掻くすべての人に届けたい。そして、ともに旅を歩んでいきたい。