目標だけあっても、見えていることしか分からない。指標を置く意味を知ろう。
よく話を聞いてみると、「目標はあるが、指標がない」という状態はたまに遭遇する。目標はあるが、指標は置いていない・追っていない、はて、なんのこっちゃ?
目標と指標は違う。結論から言うと、
つまり、目標とは目指すもの。指標とは計測するもの。
目標を定性的に捉えるのではなくて、定量的にも捉えようという話? いや、定性か、定量かは、基準や観点の「具体」をどう表すかの違いであって、ここで言いたい目標と指標の分けとは異なる。目標にも指標にもそれぞれ定性と定量の2軸が存在する。
「目標はあるが、指標がない」とは、「目指すものはあるが、計測するものはない」という状態。チームや組織として目指すものは置いているから、どれだけ成果をあげられたかを感じたり、言及することはできる。一見、自分たちが日々行っていることの「正しさ」を証明できている気になれる。この状態が次に進む一歩を、阻む要因になっていることがありえる。
手に出来ているのは、あくまで自分たちが見えている、認識している範囲での「正しさ」になる。自分たちの見えていないものは、もちろん見えないまま。その後の意思決定にも反映されることはない。
例えば、あるプロダクト開発の改善をテーマとする。目標の対象に「テストの自動化」「リリースの効率化」を挙げたとする。それ自体を置くのはもちろん問題ではない。だが、「プロダクト開発」を「ある期間でどれだけ顧客に価値となる機能を届けられているか」という視点に立って見ると、先に挙げた内容は必要かもしれないが十分ではなくなる。
今、何を改善すると効果的なのか? は置かれている状況によって変わる。もっと源流がボトルネックになりうることもある。プロダクトバックログの中身が足りなくて、いつも噛み砕きや受け入れ条件の設定に時間がかかっている、とかね。
もっというと「価値となる」に着目するならば、プロセスとしては正しいがムダなものを頑張って作っているだけということもある。あるいはもっと単純に、開発プロセスは十分改善されているが、社内の手続きが旧態依然として意思決定や承認にいちいち時間がかかっている、なんてことも。
前者をプロダクトオーナーの問題、後者を組織の問題として置くと、それ以上どうにもならない。意識の外に置いてしまうと、上記の問題は「前提」となり、変えるべき対象とならない。
こうした自分たちが見えていないものも含めて、何をするべきなのかに気づくための手がかりが「指標」になる。状態を計測していなければ、気づきは永遠に訪れない。つまり、指標とは自分たちが学びを得るためのものであり、目標として置いていなくても常に計測しておく対象となる。見えないものを見えるようにするために、指標を置こう。
先の例で言えば、リードタイムやベロシティが指標として考えられる。リードタイムもどこを対象とするかで、意味が変わってくる。開発チームに入って、出ていくまでのリードタイムなのか、それとも仮説検証を終えてから顧客に届くまでなのか、あるいはさらにその前からでも考えられる。
何を指標として置くべきかは、プロダクト作りにとって、事業や顧客にとって、チームと組織にとって、何が重要なのかによって変わる。状態、つまり時期によっても変わる。だから、指標として何を置くか自体をふりかえり、むきなおりする必要がある。そのために、バリューストリームを明らかにするのだし、カスタマージャーニーを捉えるのだし、自分たちのMVVやら北極星はなんだとか対話しておくのだよ。
目標と指標の両方を置こう。指標からの学びを得て、次の目標を置く。目標とは自分たちの焦点を今、どこに置くかということだ。目標が到達されたら、きっと指標の値も変わってくる。再び、目標を置き直す。至極当たり前のことだよね。でも、どれだけこのフィードバックループが出来ているかな。