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不用意な「小さな満足」が「初速」を葬ってしまう

 「初速」に着目するからこそ、その自分の勢いをどのようにして養うのか、というのは一つのかなめになる。

 まず、勢いを減らすほうのこと。SNSはガス抜きのほうに働いてしまう。

 細かく、断片的な、いまここでの何かを出力することで、その時の「満たされない思い」は一定充足できてしまう。満足していしまう。まあ、いいか。気がすんだから、ちょっと様子をみよう。次のタイミングに回そう。来週でもいいや。そして、ガス抜きのほうが累進的に進んでいく。結果、肝心なときの「初速」が衰える。もしくは、「肝心なとき自体」が訪れないかもしれない。

 小さな満足にしかけられたトラップ。小さな満足を得るのがダメなわけではない。小さな満足にしがみついていることに気づけ無いと「肝心なとき」がやってこないという話なだけだ。

 では、勢いを増やすほうは何か。「タメ」を作ることだ。取り組みを打ち出すまでの「タメ」。事に向けて、思い巡り張らす。だらだら準備せよ、ムダに考える時間につぎこめ、というわけではない。事について、一人で考える。気持ちの練成。ひっそりと練り上げていく。

 誰かと話してしまうと、また「小さな満足」が湧いてくる。だから、孤独に考える時間をあえてつくる。孤独がつらい? 別にずっと一人でいろというわけではない。自分で練成する時間を設けるということ。もちろん、自分の考えを煮詰めるための、情報集めや検証は行うべきで、独りよがりであれ、ということでもない。

 「初速」を支えるもののひとつは「飢餓」だと思う。早く始めたい、すぐにでも試したい、押さえられた気持ちに働く「反発力」が最初の段階の圧倒的な行動量に繋がる。

なぜ、組織は効率性に最適化しているつもりで、非効率に安定化してしまっているのか。この惨状は、いったいいつから始まり、いつまで続けるのか。その上、状況に多少の疑問を持ちつつも、何一つ動いていない。眉間にしわ寄せながら繰り返される日々。屏風のトラ、大本営発表…。

 例えば、この思いは組織アジャイルという考えにたどり着いたときに、私の中で練り上げられていたもの。「初速」は背負っているものに応じる。思いの深さによって、速さも衰えにくい。

 「飢餓」にはネガティブなイメージがついてくるかもしれない。ここでいう「飢餓」は手段なのだ。自分の「初速」を引き出すための手段の一つ、ということ。「飢餓」が良いとか悪いとか、そういうことではない。

 それでも「初速」は必ず尽きる。そのときどうするか。それはまた別の話で。

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