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なぜ、本を8冊もつくる必要があったのか?(後編)

いちばんやさしいアジャイル開発の教本

 5冊目は「いちばんやさしいアジャイル開発の教本」。

 コロナ前夜に書きはじめて、最初の緊急事態宣言のまっただなかに発刊したアジャイルの本。本を買おうにも、本屋やってませんよね、という状況下で本を出すことの不安といったら。幾冊か作っていたとしてもそれは不安ですよ。

 「カイゼン・ジャーニー」「正しいものを正しくつくる」「チーム・ジャーニー」と、3冊も書いていたため、「アジャイル開発」も当然に語り明かしていた感がある。本をつくるにあたっては、毎回「スクラム」の説明から始めねばならない。ここを端折ることができないのだ。読み手にとって、「スクラム」に出会ったのが、まさしくこの本であった!という可能性がある限り、「スクラム」の言葉と概念について説明しないわけにはいかない。

 という永続する「スクラムの説明」に終止符を打つべく(もちろん終止符などにはならないわけだが)、ここでこそ「アジャイルの本」を書こうと思い立った。

 そして、この制作を行うには、他の人の力が必要だとも思った。そう感じたのは、「カイゼン・ジャーニー」を共著で乗り越えて以来のことだった。共著者を迎えないと、「やっぱり、もうこの説明は良いのではないか…」と本作りを最後までやりきれない可能性がある。勝手知ったる共著パートナー新井さんと、アジャイル友達の小田中さんを巻き込んで、この本を作り遂げることができた。

デジタルトランスフォーメーション・ジャーニー

 6冊目は「デジタルトランスフォーメーション・ジャーニー」。

 「カイゼン・ジャーニー」を書いたのが2017年で、発刊したのが2018年のこと。それ以来、毎年本を送り出している。

2018年「カイゼン・ジャーニー」
2019年「正しいものを正しくつくる」
2020年「チーム・ジャーニー」「いちばんやさしいアジャイル開発の教本」
2021年 発刊なし
2022年 「デジタルトランスフォーメーション・ジャーニー」…

 そう、2021年は一冊もなし。本当に本屋に人がくるのか?といった状況下で、本をつくる動機はなかなか湧いてこない。その分、現場への全集中、気力を注ぎ込んだ時期になった。2020年以降、今に至るまで。来る日も来る日も、DX、組織変革、事業作り。

 その繰り返しの日々の中で、途中で気がついた。
「デジタルトランスフォーメーションとは何か?を書く必要がある!」

 そう、肝心のDXとは何か、ということについての解釈と売り込みが百花繚乱。様々なプレイヤーが混在して、なんでもありの「総合格闘技」の様相となっている。そこで生み出されるのは、なれない取り組みに疲弊する現場の数々だ。

 ご立派なプレゼンテーションの資料はあるが、果たしてこれを、いつ、どれから、誰が、どのようにして取り組んでいくのか? 俺たち(クライアント組織)にできるのか? どうやって?!に何一つ答えられていないことも珍しいことではない。そんな訳分からない仕事と組織に、いつまでも社員が居ると思うなよ。

 今すぐにでも必要だった。「デジタルトランスフォーメーションとは一体何なの?どうするのよこれ」についての「手がかり」が。正解があるわけではない。だからこそ、組織の中で語り合うための「足がかり」、言葉が必要だった。

 「デジタルトランスフォーメーション・ジャーニー」は、現在進行形で進むプロジェクト、組織に届けるための本作りとなった。昼間は、魑魅魍魎百鬼夜行、何が飛び出すか分からないDXのダンジョンを深く深く降り進んでいき、夜になったら命からがら地上へと戻り、起きたこと、学んだことを取りまとめる。次の日には、HPを回復して、またダンジョンへと戻る。

 なお、いまだにこのデジタルダンジョン・ジャーニーは続いている。

組織を芯からアジャイルにする

 七冊目「組織を芯からアジャイルにする」。

 長く終わらないダンジョン生活の中、地下奥深くで到達したこと。日本の組織に何が失われていて、何が必要なのか?への回答は、何周も何周も何周も回った上での、「アジャイル」だった。

 そうだよ、アジャイルだよ。

 ソフトウェア開発で俺たちが培ってきたアレが、二十年かけて磨いてきたアレが、日本の組織には必要なのですよ。もちろんソフトウェア開発に向けてではないですよ(そこは当然のことだ)。開発以外の業務も含めて、組織の運営に至るまで。隅から、隅にまで。例外なく、「アジャイル」という
「選択肢」を持っている必要がある。

 組織全員アジャイルをやれ!ではないですよ。アジャイルという「選択肢」を持つ、ということ。つまり、判断をしなければならない。自分の目の前にある仕事に「探索」が必要なのか? その方法はアジャイルが適していそうか? この判断を、自分たち自身でやれるようにする。それが、"アジャイルのケイパビリティ" なるもののど真ん中に来なければいけない。

 このことを「正しいものを正しくつくる」と同じくらいの熱量で語らなければならない(それはジャーニー系列とはまた違う)。例によって、前作が終わった直後に、次の本に取り掛かる。「デジタルトランスフォーメーション・ジャーニー」を書いたからこそ、次に書くべきことがはっきりと分かってくる。

 構図は、一緒だ。
「カイゼン・ジャーニー」を書いたからこそ「正しいものを正しくつくる」
「デジトラ・ジャーニー」を書いたからこそ「組織を芯からアジャイルにする」

これまでの仕事 これからの仕事

 そして、8冊目「これまでの仕事 これからの仕事

 この本を書いた経緯は別のところに書いた。

 つまり、翻ってこの本は、”これからネイティブ” を迎え入れる、先輩諸氏、上司の方、経営、組織のみなさんにこそ、読んでいただきたい。年齢を重ねてきた私たちが出来ることであり、やらねばならぬことは、昨日よりも今日1ミリでも状況をより良くすること。すべてを引っくり返せとは言えないし、出来ないかもしれない。それでもなお、組織が「これから」を作っていく一歩を踏み出すことができれば。やはりこの先には希望しかないと私は思う。

「これからの仕事 これまでの仕事」で捧げる祈り

 8冊、どれも欠くべからず本だった。そこには連なりがあった。そして、きっとまた次へと繋がっていくだろう。
 ここまでの通り、何かをすると、足りないことも、もっと実現したいことも、両方分かる。「何かをする」は一つ前のこととなり、今のための前提となる。そうして、また次に向かう方角が分かってくる。この連なりこそ「ジャーニー」だ。

 さて!次へと向かおう。

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