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相手のフィードバックをどこまで受け止めるのか
自分の振る舞いについて、周囲からのフィードバックが自分の想定と違って驚いたりすることはあるだろう。
例えば、とてつもなく忙しくしているとする。「忙しい=人付き合いがない、冷たくなった」といったフィードバックとかね。こういうのには私も言葉が詰まって、反省したほうがよいなと思い至ることが多い。人の言葉に耳を塞いでしまったら、どうしようもない。
…とはいえね。そんなつもりではないんだけどな、と思うこともあるよね。私もよくある。これ、何が起きているかというと、自分を見る相手側の情報が不足しているということなのだよね。
相手側(Aさん)が持っている、自分(B)への見方、捉え方、「Bさんはこういう人だ」という認知がある。このBへの見方が以前のままで、Bさん自身が変わっている場合、ズレが起こる。
Bさんの価値観自体が変わっていることもあるし、そんなレベルではなくて、単に優先度が変わっているだけということもある。嗜好が変わり、行動に反映されているだけかもしれない。
AさんとBとのそもそもの接点が限られる場合、ズレが起こる可能性は高くなるし、そのズレをどう解釈するかはAさん次第でしかない。その解釈はAさんの経験と思考性によるもので、Bがどうこうすることはできない。できることはズレを検知して、あまり望ましいズレではないならばそれを正すよう試みるだけ。
基本的には認知のズレは起きるもの。一緒に働いていたり、活動を頻繁にともにしていないと、人の変化なんて捉えようがない。一緒に生活していても、わからないことだっていくらでもあるのだから。
こう考えると、SNSなんかで「私はこう考えて、こう生きてますって」近況報告する投稿も実は意味があるのかもしれないよ。
でも、ズレは悪いことばかりではない。良い方だってある。変化とは成長でもあるのだから。そういうのがまた人と絡むときの楽しみになる。
つまり、何が言いたいかというと認知のズレはあんまり気にしなくて良いよね、ということ。
耳を塞いでおけば良いというものではないし、さりとてすべてのフィードバックをまともに受け止めて自分を正さないといけないわけでもない。まさか、人の認知をすべからく自分の思うように整えようなんて、恐ろしいことは考えるまい。
だとしたら。見るべきは、自分が自分のハンドルを握って、思うように動かせているかどうかになる。信号機の色を守りながらね。