「対話」は本当に必要なのか?と感じたときに考えること
対話が大事だという。その通り。まず組織に会話が無いならば、言葉をかわすところから。その上で、対話だけでは物足りないというか、対話にそこまでの熱量を持てない人もいるだろう。
先日、とある場においてあることを感じた。その場に集まったのは、アジャイルに関して、明らかに懐疑的な人、アジャイルを勘違いしている人、真っ向から懐疑派と戦うつもりの人たち。異種格闘技戦が始まるのは不可避といえる。こうした人の集まりで、まずもって場を成り立たせること自体に意味はあるし、そこで一定の共通理解、小さな決定事項を得ることには価値がある。
しかし、たいていの場合こうした場での結論は最低限のところで落ち着くことになる。多くの合意できないところはあるが、一箇所だけ互いに肯定できるところがあることは認めよう、といった具合に。それは組織にとって大いなる一歩かもしれないが、その先には「果てしなさ」が広がっている。
対話は必要だが、物事が進むためには「実行」が伴わなければならない。「実行」に多くの人を集める必要はない。むしろ、人が多いほど、何をするにしてもいちいち時間がかかってしまう。だから、何かを新しい取り組みにあたって、「小さなチームで始める」というのはやはり正しい。
ただし、対話が役立たずでいらないわけでも、小さなチームさえあれば後は何とかなるというわけでもない。対話は「機会」と捉えよう。自分一人ではたどり着けない考え、アイデアを他者との対話、他者同士の対話から得ていく。異なる知識や経験を持った人と、普段とは向き合わない問いやテーマにあえて臨む。そこには、他者との関係からしか生まれ出ない「情報」がある。(もちろん、自分もその場に貢献するつもりで臨むことを忘れずに)
それでも「対話なんて期待はずれだ」と思う人は、次の行動を取ってみよう。
(1)対話する相手を変える
いつものメンバー、手近にいる人達だけと対話するのではなく、あえて遠いところと場を作ってみる。異なる部門・チーム、異なる職種、あるいは組織の外の人と。相手が変わるだけで、得られることも変わりうる。
(2)目標を上げる
あるいは相手ではなく、自分のほうを変える。自分の仕事、取り組みについて掲げている目標を高めてみる。自分で何とかできるといった状況と異なり、自分の今持っているものだけではそもそも立ち行かない。そんな時の他者との対話ほど有り難いものはない。
(3)目標を変える
それでも、対話への期待が持てない場合。自分ひとりや状況を分かっている人たちで進めたほうが時間が有意義だと感じる。そう思うならば、目標自体を変えたほうが良いかも知れない。立てている目標が一か八かすぎて、難易度が高すぎるのかもしれない。
あるいは、実現に向けた道筋が立てられる目標に変える。(例えば売上をXX%上げる、ではなく、顧客との接点をYY%増やすなど)
付け加えると、組織の観点から見ると「小さなチーム」をただ作れば良いわけでもない。新たな取り組みを見守る役割が不可欠だ。人は関心によって、その活動を維持することができる。
関心がないところで、自らのちからだけで進んでいける人は、そもそも組織という存在を前提にしなくて良い。そういう人たちは僅かなはずだ。「関心」が組織に巡らせるべき「血液」になるという話は「組織を芯からアジャイルにする」でも書いたことだ。
最後に、今回の話を「組織として新たな取り組みを始めていく」という観点でまとめ直してみると次のようになる。