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「動けるからだ」になるために、今の組織に必要なこと

 日本の組織に足りないのは自らの体を「動かすすべ」をアンラーン(学び直し)することなのだろう。
 多くの組織が「効率への最適化」に最適化されている。いったいいつから最適化への最適化が始まっているのだろうか? 意思決定、目標とすること。その施策と実行プラン、体制。評価、教育。組織のあらゆる活動が「効率」を軸として整えられている。
 効率よくあろうとすること自体が問題なのではない。問題は、判断と行動がその一択に染め上がっていることだ。その結果として、組織を取り巻く環境のほうが変わった場合に、脆さが露呈する。変化への対応がからっきしできない体になっている。

 動ける体になること。それは、おそらくスポーツ競技を行うプレイヤーのイメージに近い。
 複雑な技や動きが取れる前に、まずもって自分が思い描いたように動けること。腕を即座に45度の傾きにしようとして、そうできる。片足で立って体を維持しようと思って、そうできる。
 果たして、組織にこれができるか。期初に思い描いた動きを、取ろうとして実際にそうできる。あるいは月初に、週の頭に。思い描いたことで動き始められるか。
 もちろん集団でからだを動かそうとすると、認識をあわせることからはじめなければならない。進めていこうとすると想定外のことが起こる。やってみて分かることも出てくる。そうして遭遇するものに適応しながら、出来る限り自分たちの思い描いたところへとたどり着けるか。思いの他難しい。

 一方、元来より「自分のからだを思うように動かす」スタイルで仕事をする職種がある。エンジニアだ。

 思い描いたことを実現できるように、あるいは思い描いたように動かない状態をどうにかしようと、試行錯誤を繰り返す。そのためにエンジニアの中で起きていることが「探索」と「適応」の回転だ。
 問題解決の回転を回すことが仕事の根底にごく自然とある。こうしたエンジニアリングのアプローチが組織に備わっていたら。最適化への最適化をひた走り続けるという状況も避けられたかもしれない。

 思うに「エンジニアが組織に必要」という論調において芯となるのは、個々別々具体技術そのもの以上に、エンジニアリング的アプローチを組織内に広く定着させることなのではないか。
 効率への最適化を目指しながら、なぜか非効率に安定化している現状。必要なのはエンジニアリングのようなロジカルなアプローチではなく、もっと感性的なものではないかと思われる人もいるかもしれない。その観点の必要性も勿論ある。
 ただ、芯から合理的に考えられるならば、非効率に至る過程が本来見逃されることもない。組織に理性を取り戻そう。そのための作戦が「組織アジャイル」となる。


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