モノとコトの境界についてのユーレカ体験
モノとは、なんなのだろうか、と、まあ、ここ最近ずっと考えているわけだが、それは、「輪郭」なのではないかと思った。
輪郭を与えられてはじめて、人はそれをそれと認識できる。ぼんやりとしていて、それがそこに本当はなかったとしても、輪郭を与えると、それは見えてくる。聞こえてくる。たとえば、空耳アワーがそうであるように。
視覚的な輪郭、聴覚的な輪郭、言語的な輪郭。触覚的な輪郭。味覚嗅覚的な輪郭。連続的なものに、境界を与える。非連続にする。
モノの本質とは、輪郭なのである。
エネルギー、すなわち温度のような、あるいは、気体のような、輪郭をもちづらい物理量はモノとして認識しづらい。コトに属するなにかであると、そう感じる。意味や数値に変換してはじめて、モノに準じる存在として確かめられる。
非連続とは、脳神経の反応閾値である。これを刺激すれは、物理量が実体としてあろうとなかろうと、人間は、実存を認識する。ただし、その写像関係が適切でないと、一貫性の欠如をメタ認知し、脳神経内のモデルのほうを疑い、修正する。
世界は一貫しているという仮説が、世界に適応し生産性を高める根拠であり、同時に、本当の世界の実相に辿り着くことを阻む軛でもある。
そういうことなのではないか。
そういうものなのではないか。
(ようへい)