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素人系パパバンドのセルフレコーディング奮闘記 Episode6 最終回

ノーマライズとCOMPで、どうにかこうにか音圧問題をくぐり抜けたと思ったのもつかの間のこと、やっぱりそれでも、「なんか、音が変」なのでありました。音がどうも、詰まっている、籠っている感じで、抜けが悪いのです。

聞いていて、率直なところ、心地良くない。不快なサウンド。

いったいこれはなんぞやとgoogle先生に尋ねると、やはり先人の知恵がザクザクと発掘されたのでした。

いわく、周波数の「干渉」による問題とのこと。

そう、440HZとか、ああいうやつです。周波数が低い=音が低いとか、周波数同士が整数比だと和音が綺麗だとかいう、あの、周波数です。

複数のパートが近い周波数を多用すると、音同士が干渉=邪魔しあうので、耳触りが悪くなる。そこを調整するためにあるのが、イコライザーなる機能なのだ、と言うではありませんか。逆に、全部の音を鳴らした時に、可聴域内の周波数がバランスよくブレンドされていたら、耳心地のいい音になるそうです。

そこで初めて、あああのPA卓にズラッと並んだツマミ、あれはそのためのものだったのかと得心したのでした。

そして始まったのが、パートごとに不要な周波数をカットしてみたり、特定域を持ち上げてみたり、下げてみたりの試行錯誤の日々。これが本当に、むつかしい。COMPみたいに、ある程度で見切りをつけられる作業でもない。

ある部分が直ったと思ったら、違うところが変になる、絨毯の皺伸ばし的な作業を延々と繰り広げることになったのでした。

素人作業にありがちなのですが、思いつきでやった修正に思いつきを重ねていくので、もうなにがなんやらわからなくなっていくばかり。料理に似ているな、と思います。手をかければ美味しくなるわけじゃない。むしろ、どんどん、濁っていく…

学んだのは、おかしくなったら、むしろ全部リセットしてからやり直すのが良いということ。

苦難の道は長く、何度やり直したことでしょうか。やった!これで完成!と思っても、スピーカーや再生環境をちょっと変えたら全然バランスが崩れてしまったりとか、とにかく思い通りにならないことこの上ないのでした。

ある日、車の中で聞いてみようと思い立って聞いてみたのでしたが、なかなか響きが悪くない。ようやく旅の終着点に近づいた、なんて安心したのもつかの間、ちょっと試しに同じ設定で市販の曲を流してみたら、その音のクリアなこと!アナログテレビと8K映像ぐらいの違いで、腰が抜けそうになりました。

そのショックを乗り越えて、どうにかやりきったと思った後に、アルバム収録曲を通して聞いたら、ボーカルの音量がバラバラで統一感が全然なかったときは、笑うしかありませんでした。またやり直しかい!

そんなこんなの珍道中をひとりで繰り広げながら、勉強していくと、プロの世界では、「イコライジングを想定して、あらかじめ編曲の時点で音域を割り振る」なんて書かれているのを読んだのですが、もはや嘆息する以外にありませんでした。

上流における戦略的失敗を、下流における戦術的工夫で埋め合わせることはできない。

ビジネスの世界でも、戦争でも、料理でもスポーツでも、あらゆる世界に共通の話です。ものの見事に音楽制作にもあてはまって、妙に納得したのでした。

ちなみに、響きを豊かにするために、また別のテクニックがあって、リバーブやディレイというもので、これは周波数ではなく、時間軸の操作による「反響の再現」とでも言うもの。手軽に響きが良くなるように見えて、やっぱり、さじ加減ひとつで安っぽくなったり、チープになるから難しくもあり、面白くもあり。

音源というのは、生音とは違う、とは当たり前の話ではあるのですが、ここにきて、その真理に近づけたような気がしたのでした。コンプレッサー、イコライジング、リバーブなど、寄ってたかって加工を加えるのは、聴覚をだまして臨場感を錯覚させようとしている所業=脳の認知をhackする行為であるとも言えます。グラフィックデザインが、視覚のhackであるように。その先には映画という視聴覚に加えた「時の流れ」すなわち記憶そのもののhack、というものもあるのだなぁとか。

しかし、リアルな環境で直接受け取る音声や光学情報とは、実は耳や目だけではなく、全身を通じて感得するもの。だからこそ、両者の間には、大きな隔たりがある。

ライブを6.1CHでやるとか、サカナクションは音へのこだわりが強いことで有名ですが、ここまでぐだぐだとやってみて、考察を繰り返し、ようやくその意味のとば口には立てた気がしてます。

そんなこんなの思いが去来しながら、結局のところ、年は開けてしまい、1月の中旬ごろに作業は終了を迎えました。思い残すところは多々あれど、いまはこれ以上は行けない。悔しさと諦念のなかに、やるだけはやったという自負、達成感も、なくはない。

でも、何度も何度も、再生したこの曲達を、何度聞いても飽きないのは不思議なものです。自分が聞いて気持ちいい音を追求し続けたから、ある種当たり前なのかもしれませんが。メロディ、音色、リズム、ハーモニー、強弱、コントラスト、意味、記憶。音楽とは実に様々な要素からなりたつ、ひとつのシステムのようなものです。曲がりなりにもそれをひとつ仕上げるということは、ひとつの世界を、つまりはひとつの生命を作り上げることに通じるのかもしれない。

最後の最後に、オーバーな表現をしてしまいましたが。

セルフレコーディング奮闘記は、これでひとまず終了です。いつかどこかで、誰かの役に立ってくれたら、嬉しい限りです。

ちなみにこのマスタリング作業、AIが全自動であっというまにやってくれる夢のようなサービスがありました。お試しでやってみたら、まあ、それなりに良い感じでした。今までの努力と時間は一体なんだったのか!笑  つぎ制作するとしたら、どうしようかなー、と、思います。プロに依頼したら、すごく勉強になるでしょうし、AIでサクッと終わらすのも一案です。何を選択するかの基準は、その制作におけるテーマがどこにあるのか、ということに尽きるのでしょう。

あ、そうだ、レコーディングのハード面、録音機材&オーディオジャック奮闘記を語り忘れていました。また、後日談として、ジャケットやブックレット、ミュージック・ビデオ制作の奮闘記、さらには現在進行中のプロモーション奮闘記もあります。

いつか語りたくなる日がくれば、語ってみたいと思います。

(ようへい)

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